真っ裸にして、口には猿轡(さるぐつわ)をかませ、両手両足を縛って梁からつるし、殴りつける「つりつり」という折檻もあった。

この「つりつり」のときは女房や遣手ではなく、楼主みずからがおこなったという。

金を盗んだ遊女は折檻後に「転売」された

鞍替えとは遊女が妓楼を代わることだが、たいていの場合、転落していく。

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表通りの妓楼から河岸見世、あるいは吉原から岡場所や宿場の女郎屋という具合である。鞍替えのときも、きちんと証文を取り交わした。

戯作『新宿晒落梅ノ帰咲』(文政10年)に、内所(ないしょ)の二十両を盗んだという疑いを受けた遊女の話がある――。

楼主は遊女の髪の毛をつかんでねじ伏せ、煙管(きせる)でさんざんに殴りつけた。そ後、蔵のなかに放り込み、食事もろくにあたえなかった。

遊女が頑(がん)として盗みを認めなかったため、楼主は内藤新宿の女郎屋に鞍替えさせた。

つまり、宿場女郎に転売したのである。

珍しく遊女の法要がおこなわれたワケ

文化7年(1810)10月末、浅草の慶印寺で、死亡した吉原の中万字屋抱え遊女の法要がおこなわれた。

普通、遊女が死亡した場合、死体を菰に包んで三ノ輪の浄閑寺に運ぶ。浄閑寺の墓地の穴に、文字通り投げ込んで終わりだった。

中万字屋の遊女は異例だったが、これにはわけがあった。

『街談文々集要』や『半日閑話』に拠ると、くだんの遊女は病気で体の調子が悪いと言って、部屋に引きこもっていた。

楼主の女房が怒り、きびしい折檻を加えた。

「仮病を使って怠けるんじゃないよ」

その後、薄暗い行灯部屋に放り込んで、ろくに食事もあたえなかった。

空腹に耐えかねた遊女はこっそり客の食べ残しを集め、小鍋で煮て食べようとした。

これを見た女房は激怒し、遊女を柱に縛りつけ、小鍋を首からつるした。ほかの遊女や奉公人への見せしめとしたのである。衰弱と飢えで、遊女は柱に縛られたまま死んだ。

その後、中万字屋に、首に小鍋をかけた遊女の幽霊が出るという噂が広まった。そこで、中万字屋はあわてて、死んだ遊女の法要をおこなったのだという。