女社会を円滑に保つ「吉原ルール」
伝統と格式を誇る吉原には独特の遊びのルールがあった。客はいったん登楼して遊女を買うと、その妓楼のほかの遊女を買うことはできなかった。
客の側に選択の自由がないわけで、商売のやり方としては傲慢ともいえる。しかし、この背景には妓楼の事情があった。
遊女は妓楼のなかで生活している。いわば職住接近だった。しかも、花魁―新造―禿―という序列になっていた。客の取り合いをして花魁同士が反目すると、たちまちグループ同士の対立に発展した。
ただでさえ遊女のあいだには感情的な摩擦が生じやすい。客がからめば人間関係のこじれはややこしくなる。同一妓楼内の別な遊女を買えないというルールを作ることで、客をめぐる無用な摩擦を避けたのである。
しかし、どんな厳格なルールがあっても、男と女のあいだではなにがおこっても不思議ではない。
『笑本当嬋狂』には、朋輩の遊女が自分の客と情交しているところに、遊女が乗り込んできた場面が描かれている。面子をつぶされた遊女は、
「やい、ここな助平女。人の男をよう間女(まおんな)しやったの」
と、その怒りは浮気な客ではなく、朋輩の遊女に向けている。
「不実」な客は総動員でお仕置き
金を払う客の立場からすれば、どの妓楼で遊ぼうと自分の勝手のはずだが、吉原ではそれが許されなかった。そんな客は「不実」として、仕置きを受けた。これを「倡家(しょうか)の法式」という。倡家は娼家で、妓楼のこと。
倡家の法式によると、いったんある妓楼の遊女と馴染みになると、客はほかの妓楼に登楼することはできない。もしそのようなことがあれば、これまでの馴染みの遊女からあたらしい遊女に「つけことわり」の手紙を送った。要するに、登楼を断われという要請である。
ところが、なおも客が登楼しているのがわかると、振袖新造を動員して仲の町や大門のあたりで待ち伏せし、帰途につく客を大勢で寄ってたかって捕まえ、強引に妓楼の二階に連れ込んだ。そして、みなで取りかこんで髪を切ったり、顔に墨を塗ったりして、さんざんに笑い者にした。しかも、長時間にわたって水も食事も煙草もあたえない。