眼帯がはがれたのを見た周りの子に「目なし」と言われ…
──小さい頃の写真を見ると、メガネと眼帯をしています。
北條 今は調子がいい日で視力0.02くらいが限界ですが、子どもの頃はメガネをかければ0.05くらいあり、それでどうにか生活していました。眼球を摘出した左側には、いつも貼り付けるタイプの眼帯をしていました。
──周りの子に何か言われて嫌な思いをしたことは?
北條 私は障害者向けではなく普通の民間保育園に通ったので、水遊びの時間などに眼帯が蒸れたり、濡れてはがれることがあったんです。それを見た男子に「目なし」と言われたことがありました。
でもそういう子に限って、先生たちの前では私のフォローを頑張っているように見せるんですよ。女子からも、先生がいないところで仲間外れにされたことも。「一緒に遊ぼう」と向こうから誘ってきたのに、ついていったら「あれ、私もしかして外されてる?」と。
──子ども心に辛くなかったですか?
北條 4、5歳頃にはもう「自分には左目がない」という認識があったんです。だから何か言われても「うつる病気じゃないんだから、別にいいじゃないか」と思っていました。
──「目なし」と言われたり仲間外れにされたことを、ご両親には話しましたか。
北條 あまり言ったことはないですね。というのは、私の親は子ども同士のトラブルに干渉しないタイプで、あるとき「自分の友達の問題は自分で解決しなさい」と言われたことがあって。それからは友人関係のことは親に相談できなくなり、寂しい気持ちはありました。
それでも何か言われたら、私はその場で「片目がなくてもうつらないよ」などと言い返していました。そういうやりとりは先生が親に報告していましたが、親から何か言葉をかけられることはほぼありませんでした。
──ご両親以外に、悩みを話せる家族はいなかったですか。
北條 一人っ子だったので、身近で頼れる人は親と祖母しかいませんでした。祖母は私をとてもかわいがってくれて、だからこそ「おばあちゃんを悲しませたくない」と思っていました。
実は、家から一番近い幼稚園には「障害のあるお子さんはちょっと……」と入園を断られたらしいんです。それで民間の保育園に入る前、家族から「たぶん、意地悪を言う子もいっぱいいる。それでも行くの?」と聞かれたんですけど、私は「行きたい」と言ったんですよ。そう言った手前、弱音を吐きにくい気持ちもありました。
──そのまま小学校も普通校へ。
北條 当時の私はメガネをかければ視力が0.05あったので、たぶん大丈夫では……という流れだったんじゃないかと。なので小学校も中学校も近くの公立校に行ったんですが、年齢が上がるにつれて辛いことが増えていきました。

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