炭の火起こしをしていた高齢女性が「当たっていきな」
原木にシイタケの菌を植えていた一家は、まだ3~4歳の孫も日頃から手伝いをしているらしく、驚くほどの手際のよさで菌を植えていく。充実しているからだろう、力仕事をする時にも、笑顔が漏れる。フキを茹でて皮をむき、塩漬けにすると冬のごちそうになるのだが、それを作っている時の笑顔は、内面からにじみ出てくるようだった。
凍み豆腐を作る女性の優しい表情。阿武隈高地にある津島は冷え込みが厳しい。他にも凍み餅、凍みダイコンと、津島ならではの特産品を作る女性がいた。
火鉢や七輪で使うのか、高齢の女性が炭の火起こしをしていた。カメラを構えると、「当たっていきな」と笑いかけてくれた。
炭焼きの煙を見かけても、カメラを向けた。男性は少し格好をつけて、タバコをくゆらせた。
直売所「ほのぼの市」に農産品を出荷する「つしま活性化企業組合」の参加者は魅力的な人ばかりだった。
ニワトリを平飼いしていた女性は働き者だった。そして、自分の作った農産物を惜しげもなく人に分け与えた。津島小学校が給食に地元の産品を使いたいと募集した時には、ジャガイモを大量に持って来てくれた。
クマガイソウを出荷している夫妻もいた。
「かぼちゃまんじゅう」は直売所の人気商品だった。もち草(ヨモギ)でまんじゅうの皮をつくってみようと皆で収穫作業を行った。
避難の苦しさが生きる意欲を根っこから奪ってしまう
だが、避難からしばらく経つと、あれほど元気だった人々の訃報が舞い込むようになった。
「『まだそんな年じゃないのに、どうしたの』という人。『元気がないんだって』と噂が聞こえてきて、そのうちに亡くなってしまう人。写真を撮らせてもらった人も少なからず亡くなっています」
原子力災害が怖いのは、避難の苦しさが生きる意欲を根っこから奪ってしまうところだ。
「私が仲良くしていた夫妻もそうでした。元気で山仕事が大好きだったのに、津島の山は汚染されてしまいました。戻ることさえできません。ご主人が先に亡くなり、奥さんは辛そうでした。『避難してやることがなくなった。また山に行きたい』と言うので、山歩きの散策グループに誘って、小高い山へ一緒に行きました。すると、木の種類など驚くほど詳しく説明してくれて、生き生きとしていました。その道すがら、『夫を亡くした時には、自分も後を追い掛けようかと思った』と打ち明けてくれました。少し元気を取り戻したように見えたのですが、買い物をしていた時に倒れてしまって……。
自然のものを食べ、周囲で作ったものを食べる。津島の人が元気な理由です。避難すると、それができなくなるどころか、体を動かす機会がなくなる。精神的にも参る。人は別の生き方を見つけることがなかなかできないのです」









