写真集や展覧会で大きな反響
暮らしの中から自然に出てくる笑顔がテーマだった馬場さんの写真は、原発事故で被災した地域の問題を切り取る社会派の写真へと転換していった。
日本リアリズム写真集団には、応募を重ねているうちに会員として加わり、会合にも参加するようになった。
そうした時、同集団の関係者に「貴重な写真だから写真集にしてみたら」と言われた。
馬場さんは「確かに写真集だと、昔の津島と今の津島が同時に残せる。今の荒れてしまった津島しか知らない人に、昔はこんなに穏やかでいいところだったんだよと伝えられる。昔を知っている人には思い出してもらえる」と考えた。
写真集が完成した直後の2024年10月18日~12月21日、福島県三春町のギャラリーで写真展を開いた。すると大きな反響があった。
まず、避難前の津島のことを知っている人からは「すごく懐かしくて、すぐに全部見た」「泣きながらページをめくった」という声が届いた。
「昔の津島には色があったんですね」
避難後しか知らない人からは、意外な反応があった。
例えば、ある放送局のカメラマンが写真展を見に来てくれた。そして「昔の津島には色があったんですね」と驚いていた。
このカメラマンが初めて津島を訪れたのは、原発事故の直後の取材だった。津島では全てが「茶色っぽく見えた」のだと言う。だが、馬場さんが被災前に撮影した写真には、3人の女性が楽しそうに赤い木の実を集めている姿が写っていた。「赤色があって、緑色もある。色がありますね」と感慨深く言われた。
被災前の津島には、人々の笑顔があって、彩りが豊かだった。しかし、避難後の津島は無表情になり、色がなくなってしまったのかもしれない。
そんな津島はどうなっていくのだろう。
「残念だけど、私には見届けられないな」
馬場さんは「今年の1月17日で阪神・淡路大震災の発生から30年が経ちました。被災した人は、決して皆が順調にいっているわけではなく、以前の暮らしを取り戻せているわけでもないと新聞で読みました。30年が経過してもそうなのか、こちらはまだ15年が経過していません」と話す。
しかも、津島では2023年3月31日、ほんの一部の土地で避難指示が解除されたにすぎない。町営住宅が10戸整備されたが、そこにぽつんとあるだけに近い状態だ。政府は今後、希望者の宅地などに限り、「2020年代にかけて」除染を進める。
復興への足どりは、極めて遅い。
馬場さんは命ある限り、津島の写真を撮り続けていく考えだ。
「でも、長い時間がかかるのでしょうね。残念だけど、私には見届けられないな」
寂しそうに、つぶやいた。
写真=葉上太郎





