「いざ戻ってみると、浪江町はびっくりするくらい不便です」

 結局真由美さんは、娘が就職して1人暮しの目途がたった24年2月に浪江町に戻った。現在の仕事は、建設現場の事務員。浪江町からいわき市方面に通勤している。

「いざ戻ってみると、浪江町はびっくりするくらい不便です。日用品も最低限の品揃えしかない状態で、何か買う時や美容室、歯医者さんなどへ行くときはいわきまで行く必要があります。まだ生活環境が戻ったとは言えない状態ですね」

 いわき市から浪江町へ帰る途中、楢葉町や富岡町にはスーパーがある。しかし真由美さんが帰宅する時間には食品などがほとんど残っていないことも多く、コンビニで夕食を買うことも多い。

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「ほとんど食材も買わないですね。朝はコンビニで、夜もカップラーメンとか。たまに隣に住んでいる両親が野菜を持ってきてくれたり、作ったお料理を分けてくれますけど。ちゃんとした食事とは程遠いです」

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 それでも、浪江町に引っ越したことには納得しているという。

「両親を心配して戻ったので、毎日元気な姿を見られるのはやはり安心します。浪江は私が育った場所なので、そこにいる意味も感じられるというか。いわきには元夫と過ごした家があるだけで、そこに1人でいることに意味を感じられず私にとってはとても嫌な場所になってしまっていました。

 あと、通勤時間は少し減りました。職場はいわき市と浪江町の間なのですが、いわき市は人が多いので、朝夕は渋滞がすごいんです。でも今は朝いわき市方面へ向かって、夜は離れるので渋滞に巻き込まれることはなくなりました」

 原発のある町で生まれ育ち、原発で働き、職場のつながりで結婚もした。しかし原発事故によって避難先を転々とする生活を強いられ、離婚、子育てを経て真由美さんは再び故郷に戻った。原発に翻弄され続ける人生だ。

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