「お前じゃ自衛隊は絶対無理」
――陸上という文字だけで決めたのですか。
大江 私自身、十何年間も陸上をやってて、体力と元気があり余ってたんでそれを活かしたかったんです。さらに、誰かのためになる仕事でもあるので、やりがいがありそうだと思って正式に応募しました。
――陸上自衛隊を受験し、見事合格されたわけですが、ご両親からはどういった反応でしたか。
大江 親からは「すごいね、安定していていいじゃん」と言われましたが、友達からは「お前じゃ絶対無理だよ」と。
――それはどういうことでしょうか。
大江 いつもヘラヘラしてるし、じっとしているのも無理だし、おしゃべりでうるさいからという理由でした(笑)。
――その後、陸上自衛隊に入隊されたわけですが、研修などはあったんでしょうか。
大江 最初は全国から女性が朝霞駐屯地に集まって。最初に訓練して、そこで見極めて、各部署に配属みたいになるんですけど、ほぼ成績順で、希望の配属に行けるような仕組みでした。
――大江さんは訓練で、どれぐらいの成績でしたか。
大江 私、勉強は苦手なんですけど、自衛隊の勉強は楽しかったです。銃の細部の名前とか、自衛隊法とか、暗記系は意外といけました。なので、百数十人中10番以内には入ってました。成績が駐屯地の中で貼り出されるんですよ。その成績表には必ず入っていました。そのおかげで第一希望の駐屯地に配属されました。
迫撃砲を背負って山を歩いた
――配属は北海道の普通科連隊。自衛隊の中ではどういう立ち位置の駐屯地なんでしょうか。
大江 もう超過酷。たしか、寒冷地手当みたいなものが出るぐらいの場所で。私は雪が好きだったので、北海道の駐屯地を配属希望で出したんですけど(笑)。訓練も過酷で半月以上お風呂に入れないときもありました。真夏に山の中を迫撃砲を背負ってひたすら歩いたり。
――迫撃砲を背負って行軍。過酷ですね。
大江 本当は車で運ぶんですけど、山の中だと難しいじゃないですか。迫撃砲は4つに分けて運べるんですけど、1個でも十数キロはあるので重たくて。一緒に銃も背負うので全部合わせたら40キロ近くになるんじゃないかと思います。
――アメリカ軍と合同訓練も行ったと伺いました。
大江 森の中でレーザー銃を使ったアメリカ軍との模擬戦がありました。チョッキを着て、レーザーに反応すると光る。分隊長プラス5人の部隊で参加したんですが、私1人で米軍さんをめちゃくちゃ倒しました。分隊は私以外米軍さんにやられていたんですけど、私は小柄なこともあって茂みや斜面に隠れる形でほふく前進で移動して。たぶん10人以上は倒したんじゃないかと思います。分隊はだいたい5、6人で、双方100人いないぐらいの規模の練習でした。