かつてのクリントン政権
――映画を観ていて私も自分の経験を思い出しました。1996年に私はニューヨーク大学に留学していて、当時第2期目の大統領選を戦っていたビル・クリントンが大学に来たんです。その時の異様な盛り上がりを思い出しました。
ウィリアムズ監督 僕も当時の記憶が残っていますよ。初めて海外に出たのが1996年で、アメリカに戻ってきた時に「あ、アメリカっていい国だな。クリントンみたいなクールな大統領がいてよかったな」っていう思いに駆られたというのをよく覚えています。オバマ政権の時にもそれは感じたと思いますね。で、もちろんトランプが最初に勝利した時は、なぜ彼なのかと思ったけど、わからなくもなかった。今回の勝利に関しても、やっぱり色々思うところがあるし、まだちょっと自分の中で消化しきれていない部分がある。とはいえ、かつてのクリントン政権に思いを馳せて、感傷的になるのもどうかとは思うのだけど。
主人公を若い女性にした理由
――主人公を若い男性ではなく、若い女性にしたのはなぜでしょう?
ウィリアムズ監督 理由としてはいくつかあります。まず若くて見た目がいいと、男女問わず色々と美味しい誘惑がある。でも、これが18歳の可愛い男の子だとして、彼が年上の男性に可愛がられるというところに踏み込むと、また違う話になってしまうというか、まだ僕たちの心の用意が出来ていないという部分も正直あります。そして歴史的に振り返って、若い女の子の冒険物語というのは面白いものが多い。どうしてかは僕にはわからないけど、やっぱりみんな好きなんですよね。例えば、ティモシー・シャラメでこの話を撮ったらどうだったろう(笑)。僕はあまり撮りたいとは思えないな。
もう一つの大きな理由は、D・W・グリフィスの映画です。彼はリリアン・ギッシュを主演にしてたくさん映画を撮っていて。そうした映画史というものに、興味が惹かれる部分があり、この映画に取り入れたかったんです。
映画から感じたアメリカの社会構造
――日本は特にそうですが、いまだ社会で権威を持っているのは男性が多く、女性の方が翻弄されがちです。社会の構造としては、アメリカもまだまだそうなのだというものをこの映画に感じたんですけれども、そういう意図もありましたか?
ウィリアムズ監督 そう、それは間違いなくあります。男たちはある意味、馬鹿というか、ちょっと考えが足りないんですよ(笑)。それは多分歴史が証明していると思う。ただ権力に溺れているという点は、映画監督にも言えるかもしれない。男女を問わず、権力は人を腐らせてしまう。この映画の中に出てくる映画監督は女性であるアヨ・エデビリが演じていますが、彼女も結局男と同じように腐っています。その根底にあるのが、恐れなんだと思うんです。
やっぱりアメリカに蔓延するこの恐怖心というのが、以前よりも顕著だと思うんですね。つまり、男性は結局色々なものを怖がっているんですよ。今回の大統領選挙の結果がそれを表していると思います。脚本家のニックがこの話を書いた前提として、男性はいろんなものを恐れている、ということ。男たちは、リリアンのことを恐れていて、彼女を自分のものにしたいけど出来ない。そして、白人の男性は黒人のことを怖がっている。つまり、みんなが誰かを怖がってるという構図ですよね。

