血を信者に飲ませる儀式に、麻原の入った風呂の残り湯の販売

 それから地下鉄サリン事件までの5年間、出家と称し、信者からは不動産から貴金属まで全財産の没収や石垣島セミナーと称する集金ツアーや麻原の血を飲ませる儀式やあげく麻原の浴びた風呂の残り湯を販売するという商売を始めた。オウムの科学技術省長官だった村井が発明したという触れ込みの、麻原と同じ脳波を送るというチープなヘッドギアを高値で売りつけるという詐欺商法でしかない暴利でますます肥え太っていった。

代々木公園で行われた選挙集会。クルタと呼ばれる白いオウム服に身を包んだ「麻原彰晃マーチ」の作曲者・鎌田紳一郎(現・石井伸一郎)率いるオウム交響楽団「キーレーン」。オウムはこののち、林郁夫ら医師や看護師を備えた信者優先の病院、学校までつくり、教団を省庁制に組織化する

 教団を疑似政府化させ省庁制を取り入れ、防衛庁や科学技術省や諜報省などを作り、大臣に幹部らを任命し、組織を強大にしていった。さらに自前の出版社まで設立、それは信者集めに威力を発揮し、附属病院に学校と怪しげな医療や教育で信者を洗脳し続けた。

 1990年の熊本県波野村への進出では信者を次々移住させ、村議会を乗っ取ろうとすると見せかけ、村から9億2000万円の立ち退き料をせしめるというまさに地上げ屋や暴力団も真っ青なやりくちで勢力をのばしていく。

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大量破壊兵器の開発に軍用ヘリ購入、自身は色と欲にまみれ…

 信者からの全財産のお布施という豊富な資金源をもとにオウムは自動小銃から合成麻薬LSDまで密造しだし、さらにサリン、タブン、VX、と神経ガスからボツリヌス菌や炭疽菌などの生物兵器まで大量破壊兵器の開発に乗り出し、あげくは潜水艦まで建造するようになる。さすがに潜水艦は失敗し、相模湾で沈んでしまったが、ロシアから軍用ヘリMl-17は輸入に成功し、しばらく富士宮市のオウム施設に駐機していた。

 麻原の野望やオウム真理教のエスカレートはそれでも収まることを知らず、1機170万円ものラジコンヘリ2機にサリンを搭載させ国会議事堂上空から散布し、その混乱に乗じ政権転覆までもくろんでいたのである。

 そんな麻原だが、信者からは全財産を没収し、禁欲させる一方自身は色と欲にまみれた、とても宗教家とも呼べぬ俗物ぶり、夫人であり幹部の松本知子との間には6人、愛人である幹部のケイマこと石井久子との間に3人、さらにわかっているだけで6人の子供をもうけた。これ皆修行やというのである。

スリランカへの修行と称する集金ツアーの帰路、名古屋空港(当時)で撮影。麻原の手を引くのは長女、後ろが上祐史浩、3女のアーチャリー、続いて妻の知子、一番右端は大蔵大臣であり愛人だったケイマこと石井久子である

 スリランカへの修行と称する集金ツアーでも信者から巻き上げたあぶく銭とばかりにエアランカ航空(現・スリランカ航空)のジャンボジェットをチャーター、自身と家族はファーストクラスにふんぞりかえっていたものの、そこにエアランカ航空の職員も乗っていたのが気に入らぬと機上で暴れ、機長が危険と判断、帰国便はいったんコロンボに引き返すというトラブルまで引き起こしている。

写真=宮嶋茂樹