「母親が連れてきた男の顔を見なくてよくなったんで、それだけでもオッケーだったな」

平沼さんは、指でOKの形をつくった。

人の命を奪った少年4人の分かれ道

16歳で仮退院後、彼は、担当保護司に指導を受けながら、3カ月の保護観察期間を過ごす。同時期に、保護司に紹介された建設会社で、現場作業員として働き始める。だが、悪い仲間との関係は切れなかった。だんだんと出勤回数も減ってきて、18歳で完全に仕事から離れる。そんななか、グループの仲間が、暴走族のメンバーから襲われたことを知る。

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「グループのリーダーが、仕返しの計画を練ったんだ。俺も含めてみんな、リーダーの言うことを聞かないわけにはいかないしさ」

グループメンバーは、ただちに実行に移す。ところがだ。予期せぬことが起きる。見境のつかない暴行で、相手を死なせてしまったのだ。

「確かに俺も、鉄パイプで殴っちゃったしな。やり過ぎたよ」

グループの四人が、「殺人罪」と「傷害罪」で逮捕された。

四人に対する家庭裁判所の決定は、それぞれ違った。一番罪が重いはずのリーダー格の男を含め、三人の少年が、少年院送致となる。その一方で、平沼隆康少年のみが、検察へと逆送された。揉み合いの最中に、「ぶっ殺せ」と発言したことが、故意の殺人ととらえられたようだ。

三人と彼との違いは、ほかにもあった。ひとつは、彼だけが、少年院経験者であったこと。そして、ふたつ目は、それぞれの親の対応の違いだ。リーダー格の男の親が、賠償金の支払いをしたのに対し、彼の両親は、家裁調査官に会うことさえ拒んでいたのだ。この違いも、かなりの影響を与えたのではないかと思われる。

「人間って、不公平なもんだよ。どんな親から生まれるかで、運命が決まっちゃうんだからな」

入退院を繰り返す母、絶縁を迫った兄

被告人となった彼は、「殺人罪」により、懲役5年以上8年以下の不定期刑を言い渡された。収監されたのは、東日本にある少年刑務所だ。服役中は、少年院よりも居心地が良かったという。腕っぷしが強かった彼は、3年もすれば、工場内の受刑者のほとんどを従えるようになる。