その一方で、不安なこともあった。仮釈放に向けての身元引受人がなかなか定まらないのだ。更生保護施設は、懲罰の多い彼を、引き受けようとはしない。

彼が服役中、母親と継父は、すでに離婚していた。その後、病気がちになった母親は、入退院を繰り返している。とても母親には、身元引受人など依頼できない。代わりにと考えていた兄だが、身元引受人になることを、にべもなく断ってきた。

それだけではない。〈もうお前とは、関わりを持ちたくない〉との手紙を寄越し、絶縁を迫ってきたのである。身元引受人になってもらうのは、諦めるしかなかった。

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「俺さ、縁は切られないようにって、ムショから丁寧な手紙を書いたんだ」

だが、兄からの返事は、ついぞなかった。

いい仕事が見つかり、生活も安定したが…

27歳で刑期満了を迎えたが、その直前に母親が亡くなっている。

「叔母さんが手紙で知らせてくれたんだけど、そしたら、雑居から独居に3日間だけ移らせてもらってさ、俺、その間、夜はずっと泣き続けてたよ」

出所後は、その足で知り合いのもとを訪ねた。知り合いといっても、少年刑務所の工場で一緒になった先輩受刑者だ。顔が広い人らしく、就職先を探してもらおうと思ったのである。

仕事は、存外に早く見つかる。東京都内の金属加工工場での旋盤工だった。刑務所内で3年間、刑務作業として従事した仕事でもある。工場の経営者は、さばさばとした性格の人のようであり、彼の前科など、まったく気にしていない様子だった。

仕事の内容も職場環境も、申し分ない。仕事に慣れて、安定した生活を送れるようになったら、兄に連絡を取ろうと考えていた。

働きだして9カ月目、職場で事件が起きる。部品の仕入れのために用意していた現金200万円が紛失したのである。それが発覚した直後からだった。疑いの目が、彼に向けられるようになる。明らかに、すべての従業員から避けられていた。誰も口を利いてくれない。前科があることを知っているのは社長だけだったはずだが、どういうわけか。