とんねるず石橋貴明さんから「いつまでもあると思うな親と金」と…

――その頃のお父さんは『夕やけニャンニャン』(1985~1987年)でブレイクして、非常に忙しくなっていた時期ですよね。

逸見 『夕ニャン』は学校から帰ると必ず見ていました。とんねるずのおふたりが大好きだったので、父親にサインをもらってくるようにお願いしたこともあります。『キャニオン 初』(1986年)だったかな。とんねるずのアナログ盤アルバムを父親に託したんです。

 そしたら石橋さんが、「いつまでもあると思うな親と金」ってサインの横に書いてくださって。そのときはピンとこなかったんですけど、後々になって「ああ、なるほどね」って理解できました。

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逸見太郎さん ©釜谷洋史/文藝春秋

――フジの看板アナになって、フリーになって大活躍するタイミングと、太郎さんの中学、高校時代が重なっていたという。

逸見 父とはあまり一緒の時間がもてなかったぶん、自分が父親になったことで、子どもと共有する機会や時間って大事だなとさらに強く感じることが多いですね。

 僕も父にそういったものを作ってほしかったなと考えるんです。たとえ問題が解決しなくたっていいんですよ。「なぁ、いろいろ学校であるみたいだな」って声を掛けてくれるだけでもいい。それだけでも、子どもって救われると思うんです。

 ましてや、中学、高校の頃って、思春期でデリケートになっていますし。誰かが自分を気にしてくれる、認識してくれるっていつの時代でも心のよりどころだったり、支えになるんじゃないかと思います。

 口に出さないとわからないこと、口に出すことでもっと伝わることってあると思うので、できる限り僕は息子とはたくさんの時間を共有するようにしています。

太郎さんは子どもとの時間を大切にしているという(本人のInstagramより)

高校を辞めてイギリス留学を決めた理由

――太郎さんの過去のインタビューによると、「逸見政孝の息子として見られるのがイヤだった」的な理由で日本を飛び出してイギリスに留学したと。でも、お母さんの著書によると、家族でハワイに行ったさいに現地で仲良くなった一家がいて、その家に招かれた太郎さんが英語で話せなかったことが悔しくて、留学して英語を学んだと書かれているんです。これ、どちらが正しいのでしょう?

逸見 英語を学びたいと思うきっかけとなったエピソードとしては、『オールスター家族対抗歌合戦』の慰安旅行で行ったヨーロッパ旅行ですね。番組が終了するにあたり、よく出演していた家族にヨーロッパ旅行がプレゼントされたんです。景気のいい時代でしたよね。

 東八郎さんの一家やジェームス三木さんの一家、審査員をなさっていた近江俊郎さんとか、みんな一緒に2週間くらいの日程で。父親は生放送の仕事があるから行けなかったんですけど、僕ら家族も行かせてもらえることになって。

 そこで、ジェームス三木さんの息子さんが英語ペラペラで、ほかの家族が海外の方との会話に困ると、サッと現れては英語で話して助けていたんです。それを目の当たりにして、「あっ、英語しゃべれたらカッコいいなあ」と。そこから英語の勉強を一生懸命取り組むようになりましたね。

 それに父親は英語がまったくできなかったんです。「早稲田卒の父親はすごい」ということもありましたし、それなら自分が得意な英語を伸ばして父を超えられるものを身につけたいという対抗心のような気持ちもありましたね。