「毎朝4時にルームメイトが絨毯を敷いてお祈りを始め…」イギリスで感じたカルチャーショック
――留学先にイギリスを選んだ理由は?
逸見 父親がかたくなに「アメリカは銃社会だからダメだ」と言っていたことと、イギリスには知人もいたので両親も安心して送り出せる場所だったという点が大きいです。それで入ったのが、イギリスにあるアメリカンスクールという(笑)。
――寮ですか。
逸見 はい。人生初めての寮生活だったのですが、世界各国から様々な方が集まっての生活だったので、違う文化に触れカルチャーショックというか、「これまでの常識が通用しない」ことに衝撃を受けましたね。
当時はネットもなかったですし、音楽ひとつとってもラップを聞きそうなアフリカ系アメリカンの友人がロックを好んでいたり、宗教的な背景から授業中にお祈りを始める友人を目にしたり、ちょっとしたことでも自分の思い込みや知らなかったことの多さを痛感する場面があって、色々な意味で先入観が消えましたね。
さすがに毎朝4時にルームメイトが絨毯を敷いてお祈りを始めるのはキツかったですね。部屋を変えてもらうように交渉した思い出があります。
得意な野球をきっかけに仲間ができ、「逸見太郎」として認められた
――留学したら、英語はメキメキと?
逸見 もともと内気な性格だったので、自分から喋って自分の考えを伝えていかないといけないのに、なかなかできないまま最初の1年間が過ぎてしまった感じで「このままではまずいな」と。
そんな状況を救ったのが、子ども時代に没頭した野球でした。アメリカンスクールなので、野球部があったんです。そこでようやく自分らしさを出すことができ、野球をきっかけにコミュニケーションもうまくいくようになりました。
「タロウ!」と呼ばれて、仲間ができて、先生からも声を掛けてきて、ようやく「逸見の息子」としてではなく、「逸見太郎」として認められた、という実感をしました。そこから一気に英語力も伸びていきました。
自分の得意分野があると、海外では認められて受け入れられるきっかけになることを体感しました。たまたま僕は野球が得意だったので良かったですが、イギリスの現地校だったらクリケットになって、状況が違っていたかもしれないですね(笑)
それからは流行りの音楽を聴いて話題づくりをしたり、カセットテープを交換したり友達との交流を広げたりして。時代的にもジャパン・アズ・ナンバーワンって言われてましたけど、日本人に対しては今より偏見とか風当りもある時代でしたし、国際交流も今とは違うハードルもあったんじゃないかと。それでも、やっぱり自分が一個人として認められている充実感がありましたね。

