シンクロをしていた時は、「あんたの限界はな、あんたが決めるもんちゃうねん」と檄を飛ばし、日本代表に導いてくれた。引退してから15年以上も経ち、人生に追い詰められた時、再び現れて「負けたらあかん」と寄り添ってくれた。何物にも代えがたい恩師の言葉は、その後も二村さんの支えになる。

アマゾン上陸、利便性に対抗する「対面の選書」

隆祥館書店では、二村さんに本を勧めてほしいというお客さんが少しずつ増えていた。それが「楽しくて、楽しくて」、もっともっとお客さんに本を勧めたいと思うようになり、寸暇を惜しんで本を読むようになった。

意外にも、父の善明さんはこの取り組みに批判的だった。

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「お客さんの方が、その分野に精通している人がいる。そんな人に本をお勧めするなんて、無知ほど怖いものはない」

二村さんも「それはそうかもしれないけど……」と感じつつ、もはや生きがいとなっていた活動を手放そうとは思わなかった。そのため、ふたりは何度もケンカしたが、善明さんも売り上げへの貢献を認めていたのだろう。2000年、二村さんは店長に就任する。

奇しくも同じ年、アマゾンが日本でサービスを開始した。当時、隆祥館書店の来客数は1日平均300人、ひと月の売り上げは、外売と合わせて約1000万円。アマゾンの登場は全国の書店に影響を及ぼしたが、二村さんの「対面での選書」は、アマゾンの利便性に対抗する手段になった。

1500人の趣向を把握する書店員

「対面での選書」が広がるターニングポイントになったのは、ディアゴスティーニが展開する「パートワーク」。ひとつのテーマを数冊に分けて紹介する冊子で、当時は毎週発売されていた。隆祥館書店には50人ほどの予約客がいて、毎週受け取りに来る。顔なじみになったお客さんに声をかけると、そこには売り上げを伸ばすヒントが溢れていた。

「野鳥のパートワークだとしたら、もちろん鳥の話もしてくれはるんですけど、僕はカメラが好きやねんとかね、ほかの話をしてくれはったりするんですよ。それから、このお客さんはなにが好きなんかなって興味を持つようになって、どんどん、お客さんの趣味、趣向に合った本を勧めるようになりました」