『C線上のアリア』(湊かなえ 著)朝日新聞出版

 もう取り返しがつかないと感じることに対して、人はどういう応答をすべきなのだろう。湊かなえはずっとそんな問いを私たちに投げかける。たとえば亡くなってしまった人に対し、何か生きている私たちができる贖罪はあるのだろうか。あるいは自分が過去におこなったことに対し、後悔しているのならば、どのように償えばいいのだろう。本作には、湊かなえ的モチーフに満ちた――つまり自分が見て見ぬ振りをしてきた過去や、あまり反省をしようとしない他人にどうやって接するかといった、取り返しのつかない人生をそれでも生きていこうとする人々が丁寧に描かれている。

 主人公の美佐は、育ての叔母・弥生が認知症になってしまったことを受け、介護のために故郷へ戻る。実は美佐は高校生の時、弥生の家(「みどり屋敷」)で暮らしていたのだ。二十数年ぶりにやってきた「みどり屋敷」で待っていたのは、ゴミ屋敷となってしまった風景だった。美佐は家を片付ける中で、叔母の人生を知り、さらに昔の恋人の現在を知ることとなる……。

 介護ミステリ、という言葉にどきりとする方もいるかもしれない。介護という、多くの人にとって他人事ではないはずなのに、なぜか世間ではあまり大きな声で話されることのない苦労について、本書はあますことなく描き切っているからだ。育児と違って介護はどんどん未来がなくなっていくのできつい、という言葉をよく聞くが、本書を読んでいるとその実感がよくわかる。そこにあるのは達成感ではなく、ただ現実を積み重ねていく労力なのだろう。

ADVERTISEMENT

 そして本書で描かれるのは、そんな介護の現実に目を向けることなく、フィクションの世界や自分の理想の空間に閉じこもろうとする男性の姿でもある。ケアの現場には、明確なジェンダーアンバランスが存在する。本来であれば力仕事は男性が得意なはずなのに、と思ってしまうのだが。

 しかしそんな厳しい介護の現実を描きつつも、本書の魅力はあくまで最終的には希望の光がさして物語が終わるところである。作品は決して闇に閉じない。自分の過去や、どうしようもない時間、取り返しのつかない出来事。そういった、ひとりでは抱えきれない人生の後悔を、最後は物語が肯定してくれるのである。

 もう取り返しがつかないように見えることであっても、それでも、生きていればできることはある。今からでも自分の現在は変えられる。そう思えるラストシーンは、どこかこれまでの湊作品とは、違った読み味にも思える。これは介護という途方もない営みに対する、作者の励ましなのではないか。湊かなえが新しい作品で私たちの人生に語りかけてくれる言葉に、ぜひ、耳を傾けてみてほしい。

みなとかなえ/1973年広島県生まれ。2007年「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。09年同作を収録する『告白』で本屋大賞、16年『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞。18年『贖罪』がエドガー賞候補となる。
 

みやけかほ/1994年生まれ。高知県出身。文芸評論家。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で新書大賞等を受賞。