―― SF大会で上映した時、どんな評価でしたか?

庵野 ずいぶんウケてましたね。評価は高かったと思います。やっぱり素人の作ったものにしてはレベルが高いということだったと思います。

―― 上映の時に音が出なかったという話を聞いたんですけど。

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庵野 1回目の上映の時、接触不良で音が出なかったんです。

―― でも、絵の力だけで皆さん見て、ドカッとウケたんですね。

庵野 ですね。音が付いているとは思ってなかったみたいです。

―― サイレントだと思って普通に見てしまった。それでも動きがすごいから。

庵野 アンコール上映で最後にもう一回やった時はちゃんと音が出たのでよかったですけど。

―― 庵野さんとしても、それを作ることで手ごたえを感じたんですか? 

庵野 そうですね。1本かたちになったのでよかったですよね。オープニングに間に合わせるという期日も、ギリギリですけど守れたので。当日の朝、完成したんですけど。

―― 結構ギリギリまでやっていたんですね。

庵野 ギリギリですよね。

作画に集中すると食事しないでいい

―― 庵野さんは作画が始まるとそれに集中してしまうそうですね。

庵野 一番集中していたのは『じょうぶなタイヤ!』の時ですね。それ以外は……まあ、集中しないと描き続けられないというのはありますけど。

『じょうぶなタイヤ! SHADOタイヤ』©H.ANNO

―― 食事も取らずにスナック菓子を食べながら描いていたとか。

庵野 食事を取りに行くのがめんどくさいですからね。

―― 庵野さんは好き嫌いが激しいと聞いていましたが、そういうところから来ているんでしょうか。

庵野 好き嫌いは、物心ついた時からです。なんで食べられないのか自分でも分からないですね。

―― 食べることよりも描くことですか?

庵野 それはそうですね。食べることにそんなに重点がないんです。描いているほうが面白かったというのはあります。描いている間は他のことを忘れられるのでいいかなと。ただDAICON Ⅲの時はもう、周りに人がいながら描いていたので、あんまり集中とかそういうのはないですね。

―― ああ、そうか。『じょうぶなタイヤ!』の時は1人でこもって描いていたから。

庵野 あれは引きこもって、1人で本当に集中してできたので。

―― DAICON Ⅲは集団作業として皆さんいる中で描いていたという感じですか。

庵野 そうですね。

1)山賀博之 映画監督、脚本家。代表作『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)
2)赤井孝美 イラストレーター、企画プロデューサー。 代表作「プリンセスメーカー」(ゲーム)
3)DAICON Ⅲ 1981年に大阪で開催された第20回日本SF大会。大阪で3度目の開催だったのでこう呼ばれている。
4)ゼロックスは動画に描かれた線をセルに転写するコピー機。トレーサーは原画をセルにトレースする人のこと。
5)『愛國戰隊大日本』 総監督:赤井孝美、特技監督:庵野秀明 戦隊シリーズをパロディ化した 1982年8ミリ 19分 
6)『帰ってきたウルトラマン』総監督:庵野秀明 特技監督:赤井孝美 1983年8ミリ 28分