有名ボーカル&ダンスグループのメンバーとして活躍後、会社員を経てセクシー女優に転身した小湊よつ葉。アイドル時は、デビュー年にレコード大賞・最優秀新人賞を受賞するなど、華麗なキャリアを誇る彼女は現役時代どのような思いで活動していたのか。そして、グループ解散後に会社員へと転身した理由とは。
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自分に自信がなかったアイドル時代
──グループとしてのデビューは、友達にお別れを言う時間もなく、突然の上京だったそうですね。
小湊よつ葉(以下、小湊) 「明日、転校することになったよ」って、お母さんに言われたんです。長崎県に住んでいた私は通うのが難しいため、急遽一人で東京に行くことになって。最後の日に学校に行って、クラスのみんなの前で「今日転校します」と伝えました。
仲の良い子たちにも、事前に伝えることができなかったんです。だから、とても不義理なことをしてしまったと今でも後悔しています。嫌われても仕方なかったのだけれど、その後も連絡を取ってくれる子もいました。
──ボーカル&ダンスグループとしてのレッスンは厳しかったそうですね。
小湊 夏休みとかは、一日10時間くらいのレッスンがありました。それは私のレベルが表に立てるものじゃなかったからなんです。メンバーは7人いて、みんな歌もダンスも本当に上手かった。スタイルも良くてキラキラして見えた。私は田舎から出てきた芋な感じで(笑)。
レッスンについていけなくて、先生から「下手くそ!」ってよく叱られていました。スタジオの廊下に出されて、そこで一人で練習して、見せられるレベルになったら戻ってきなさいと……。いつ首になるか、不安で仕方がなかったです。
──華やかな世界に出るまでには、辛い下積みがあります。心が折れそうになったことはなかったですか。
小湊 毎日、母に電話していました。寂しい、レッスンがきつい、みんなは上手にできるのに私はできない、みんな可愛いのに私は……。弱音を吐いてばかりいました。最初、母は「誰にでもあるチャンスじゃないとやけん、頑張らんばよ」と言ってくれていたのですが、ある日「もう本当に頑張れんなってなったら、いつでも帰ってきてよかけんね」と言われたんです。そのときに気づきました。
いつまでも子どもじゃダメだと。
母に頼ってばかりじゃダメだと。
家庭の事情で色々な意味でしんどいはずなのに、母はこんなにも優しくて強いんだと目頭が熱くなりました。そのときに流した涙は、母に頼る涙ではなく、こんな弱音ばかり吐いてごめんねという、母への謝罪と自分の弱さに気づいた涙でした。
そのとき、母が私に安心して頼れる状況を作ろう、そういう人間になっていこうと思いました。

