取材中に孫麗がそう話すと、なんと他の2人もうなずいた。
近年の中国では、全国に約2億台の監視カメラが配備されている(2019年時点)。一部は公安部のシステムとクラウド上で直結し、顔認証機能によって被撮影者の氏名や身分証番号を一瞬で特定することが可能だ。スマホやパソコンを使ったインターネットの利用履歴も、特殊な暗号化技術を使わない限りはすべて公安が把握している。
中国政府が監視社会化を進める最大の目的は、中国共産党の統治体制の防衛だ。日本を含めた西側諸国の感覚では、個人のプライバシーの一切を国家権力が握る近年の中国社会は不気味なものに思える。
だが、実のところ中国の庶民層には、犯罪の抑止効果を理由にこれを歓迎している人が意外と多い(近年、中国当局は犯罪発生率の大幅な減少をアピールしており、これは私の肌感覚でも事実だと感じられる)。ゆえに監視社会に慣れきった国の人から見れば、日本の警察のユルさが逆にはがゆく感じられるという奇妙な逆転現象も起きるのだ。
誰もまっとうな対応をしてくれない
さておき、孫麗たちの不満と不信感は、かくまでも強い。
容疑者がほぼ絞り込まれており、その気になれば簡単に証拠も見つかるはずなのに、誰もまっとうな対応をしてくれない。結果、艶金・Gネット・警察の三者の姿勢に苛立った彼女らは、日本の不誠実な企業や警察組織よりも、ずっと「信頼」できる強力な権力に任せて事件を解決しようと考えた。
すなわち、駐名古屋中国総領事館や、上海の大手ニュースサイト『澎湃新聞』に積極的にリークして戦っていく作戦を取ったのだ。
『澎湃新聞』は習近平政権と非常に関係が深い、中国有数の大手ウェブメディアだ。2月13日に事件が大きく報じられると、中国国内の世論にも反発が広がった(ちなみに艶金については、旧名である「艶金化学繊維」の名で『澎湃新聞』記事中で社名が公開されていたため、本稿でも仮名を用いずこれに従った)。中国側報道は、総領事館もこの事件を「高度に重視」しており、なんらかの対応を取ると伝えていた。
中国人労働者の立場は昔よりもずっと強くなった。いまや日本の中小企業が中国人技能実習生に対して不誠実な姿勢を見せるだけで、習近平政権のプロパガンダメディアを通じて社名を名指しで批判され、外交問題の俎上に載せられかねない時代になっているのである。