「ランパブ? 何それ」「パンティとブラジャーで接客するお店ですよ」
「2階の店は1階と同じようなスナックで『CM2』という名前でした。次に3階で『CM3』をやろうかっていう話になったちょうどその頃、20歳のナルミちゃんっていう子が紹介で働きに来たんです。その子に『あなた、ここに来る前はどんなお店で働いてたの?』って聞くと、『ランパブにいました』って言う。『何、それ?』『パンティとブラジャーで接客するお店ですよ』と、初めてランパブっていう形態があることを知りました。
それでピンときて、『そうなんだ。じゃあアナタ、私がこのビルにお店を借りたら、他に働いてくれる女の子を何人か連れてくることができる?』『はいっ!』『じゃあ借りてあげる。アンタ、ママやりな』という感じで初めてのランパブをオープンすることになりました。ナルミちゃんは他に3人の女の子をちゃんと連れてきてくれましたよ」
こうしてオープンしたランパブ『CM3』は瞬く間にスナック以上の大盛況となった。時代的にはバブルがハジけた後だったが、夜の繁華街は最後の祭りを刹那的に楽しもうとするような一種、異様な空気が漂っていた。
「値段はスナックの倍の1万円に決めたのですが、それでも次から次にお客さんが入ってきて、狭い店内は週末の原宿の竹下通りみたいになってました」
「OLクラブ」「パジャマクラブ」…5店舗ともお客さんが途絶えず
船堀で最初のスナックを始めてから3年が経つ頃には、3店舗すべてに客が入りきらなくなるほどの大盛況となった。そこで3店まとめて大きなハコに移転しようと考え、あちこち探した末に西葛西の店舗を見つけ、最初のスナックだけは人に任せて残し、それ以外の女の子たちはすべて新店舗に移ることを決めた。
「新しい店の店名は『ルージュ』。CM2と3の女の子を全部ごっちゃまぜにしたので、普通の洋服の子とランジェリーの子が一緒に働いていました。ここもすぐ軌道に乗ったので、そこから勢いに乗ってどんどん新しい店舗を作っていったんです」
それから3年ほどの間に、亀戸に「ランジェリーパブH」をオープンし、西葛西にはOLスタイルで接客する「OLクラブ」と、女の子がパジャマ姿で接客する「パジャマクラブ」も出店する。
きいこさんが経営する5店舗はいずれもお客さんが途絶えず、さらに大バコの店舗を探しているときに、 近所でパチンコ屋が潰れて3フロアが空いたビルを見つけて移転を即決する。
「目立たない場所ではあったんですが、これを機に店名を『ZERO』にして、これ以降は新しくやるお店も全部『ZERO』で統一するようにしました。1階と2階はクラブ、3階がランジェリーパブになりました」
この3階フロアのランパブ店が、後に東京の夜の街での「伝説」となっていく。
