1990年代から夜の街で一大ブームとなったランジェリーパブ、通称・ランパブ。かつて東京都江戸川区西葛西に「伝説のランパブ」と呼ばれた人気店があった。その人気店「ZERO」グループの創業者で、「大ママ」と呼ばれ慕われていたきいこさんに、波乱万丈の人生について聞いた。
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結婚して一度は足を洗ったけれど、40歳で再び水商売を始める決意
きいこさんは鹿児島県生まれ。18歳の時に集団就職で名古屋に出てきた後、大学生だった兄を頼って東京に移り住んだ。そこで夜の仕事に初めて触れたという。
「東京に移り住んだ時は生活が苦しくて、知り合いから誘われたサウナとかのマッサージコンパニオンで働きました。風俗ではないですが限りなくグレーゾーンのお仕事でした。女の子は全部で50人くらいいたんですが、他の子はみんなお金持ちやほかのお店から声がかかって、美人の先輩がマンションを買ってもらったなんて話も聞きました。ところが地方から出てきたばかりの私には一切声がかからない。
もっと良い条件の仕事はないか探すため、寮から仕事先に行く通りに、キャバレー王で有名だった福富太郎さんのお店のスカウトがいると聞いて何度もウロウロしたんですが、やっぱり声をかけてもらえませんでした」
その後、会社受付嬢の仕事をしている中で知り合った会社員の男性と結婚し、3人の子供をもうける。それからは、千葉県に移って主婦をしながら英語学習塾を3軒経営するなどそれなりに裕福な生活だった、しかし40歳になるタイミングで水商売を始める決心をする。
「なぜ水商売だったかと言われれば、やってみたかったからと言うしかないですね。今思えば、若い頃に福富太郎さんのスカウトに声をかけてもらえなかったリベンジみたいな気持ちもあったかもしれません」
江戸川区のスナックが大盛況、店舗を増やしランパブ経営へ
最初の店を出したのは今から31年前のこと。江戸川区船堀にある空き店舗を紹介してもらい、前の店の看板をそのままに小さなスナック「CM」を開いた。
「12坪の広さで20人も入れば満員の店ですが、設備やお酒も居抜きでそのまま残っていたし、なによりオーナーからは『カラオケ代として月に10万円も渡してくれればいいから』と言われ、格安の条件だと感じたので即決しました」
看板を変える資金も惜しかったので、店名も前の店のまま使うことにした。知り合いの寿司屋の大将に「1日10万円の売り上げを目標にしなさい」と言われ、1993年にそれを目指してスタートした 。
ほどなくしてきいこさんの接客は人気になり、その日に来たお客が10人だったら、1人1万円で一晩中飲み放題、20人だったら5000円で飲み放題という来客数に反比例したセット料金が人気を博し、ついにはトイレに行くのも肩がぶつかるくらいの客が毎晩やってくる大盛況となる。
オープンして半年も経たないうちに、同じビルの上のフロアを借りないかという話が持ち上がり、1年後にはさらにその上階の店舗も借りて新しい店を始めることになった。この3軒目の店が、きいこさんの手がける初のランパブ店になる。