「このままだと、子どもを殺してしまいます」
そうやって、親子で外の世界から離れて密室状態になっていたのかもしれません。
夢ちゃんへの明らかな虐待者である一方、私は、自分が何一つ、何の取り柄も自信もない人間なのだという劣等感にも強く捉われていました。子育てに自信は持てないし、「私には何もない」という、堂々巡りの中にいたように思います。もちろん、夢ちゃんを殴る自分のことも、嫌で仕方がありませんでした。
「ああ、私には何もない。仕事どころか、社会に出る自信もないし、子育てにも自信がないし……」
そんな思いにがんじがらめにされ、必死に足掻いていた日々でした。
「このままだと、子どもを殺してしまいます」
ある時、幼稚園に来てくれたカウンセラーさんに夢ちゃんのことを相談しようと話を始めたら、2時間、話が止まりませんでした。カウンセラーさんは「お母さん、お母さん」と私を見つめ、こう言いました。
「お母さん、うつです。病院へ行った方がいいと思います」
ああ、そうかも。不思議と、自然にそう受け止めることができました。
当時は子ども2人を乗せて車を運転している時に、衝動的にどこか、目の前の湖に飛び込もうか、あの電柱に突っ込もうか、そんなことばかりを考えていました。自殺することしか、考えられなくなっていたのです。
3人で死のうと思っていました。目の見えない子をどうやって育てていったらいいのか、夢ちゃんの問題行動、登園拒否をどうしたらいいのか。どこに相談しても、「お母さんが決めればいいですよ」と言われるけど、私にはモデルがありません。育ててもらっていないので、育児のモデルがないのです。お寺の「おばあちゃん」は、お箸の持ち方すらも教えてくれませんでした。いつもお腹が空いていてどうしようもなくて、近くの店でお菓子をくすねたり、友達の家のものを持ってきたり、私はそうやって育ったのです。
車で、どこに行くあてもなく走っていて、そして精神科に着きました。そこで私は、「助けてください」と言ったのです。
「このままだと、子どもを殺してしまいます。2人を乳児院に預けたい。もう、死ぬことしか、考えられません」
夢ちゃんをどうしても殴ってしまうことを、医師に正直に話しました。
病院から児相に、通報が行ったのだと思います。児相の職員が病院にやってきて、滝川も職場から呼び出され、翌日、夫婦揃って子ども2人を児相に渡すことを約束して帰りました。