ちょうど、海くんの1歳の誕生日の日に、2人は一時保護となりました。
児相では、こう言われました。
「子どもの居場所は教えられません。連絡も一切取れませんし、面会もできません。2か月間、子どもたちには会えません」
つらい言葉でした。でも、私はその方が子どもたちにとってはいいだろうと究極の選択をしたのです。
子どもたちを預けてから、食べることも笑うことも私は忘れて、ただ椅子に座っていました。
滝川がいれば一緒にごはんは食べますが、滝川の3日間の出張の時に何も食べないでいて、そのまま倒れました。もう、終わりが来たんだと、はっきり思いました。気づいたら、携帯で滝川に連絡を取っていました。滝川に家に帰ってきてもらい、そのまま、精神科に入院しました。
子どもを預けて1か月後、本格的なうつの治療が始まりました。
究極の選択
駆け込んだ精神科で渡されたカルテの写しを、沙織さんは見せてくれた。
「長男出産後、子供の視覚障害への罪悪感、長女の夜泣きの対応、長女に問題行動があったことなどで不眠、抑うつ気分、焦燥感、希死念慮等著しくなり受診」
まさに満身創痍だった。海くんが全盲で生まれたことへの罪悪感は、うつになるまで沙織さんを追い込んでいた。そして、夢ちゃんへのたぎる怒り。
沙織さんに夢ちゃんへの暴力が止まらない時、蹴られている夢ちゃんはどんな表情をしているのか、聞いてみたことがあった。沙織さんは、たった一言。
「え? 顔なんて見たくもないから、見てないですよ」
顔も見ずに殴り、そして蹴り続けるのか。それは子どもが苦しんだり痛がったり悲しんだりしている顔を見れば、その不憫さに、瞬間、手が止まってしまうからではない。もはや、子どもはただのサンドバッグだ。沸騰し、興奮した脳の下、その沸騰が鎮まるのを待つだけ。夢ちゃんは、どんな思いで痛くてつらい時間を耐えていたのだろう。沙織さんは父親に殴られていた時、「感情を殺した」と言った。
夢ちゃんは、どうしていたんだろう。
子ども2人を児相に託したことは、「究極の選択」だったと沙織さんは繰り返す。それは「殴っていても、自分の方がマシ」だと、一つの選択肢しかなかった沙織さんが、子どもたちの立場に立って下した決断だった。なぜ、そうできたのか。沙織さんは、きっぱり言った。
「心が壊れる手前の紙一重の瞬間を、自分が味わった気がしました。だから、この子たちにとっては、私と会えない方がいいだろうと。私にとっては、究極の選択でした」