が、それほどまでに京都のイケズがわかりにくいなら、人畜無害すぎてイケズとはなんぞやと問いたくなる。京都出身で『イケズの構造』(新潮社)を著した入江敦彦氏はイケズの例をこう述べている。

「たとえばイケズとは、くだんのお姫様の布団の下へ豆を歳の数だけ節分の夜に忍ばせるような行為。そして彼女が気づき抗議してきたら〈残さんとお食べやす。縁起よろしおすえ〉と微笑んでみせるのです」

 入江氏はこれぞ「ほぼ完璧なイケズやわ」と述べているが、なにやら大奥の御局様のような意地悪で、現実には嫁姑の確執でもこんなシーンは存在しないだろう(と信じたい)。

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「京の茶漬け」は完全なフィクション

 よって、僕は京都人がイケズというのは神話であると断定している。

 しかし、イケズを外部から持ち込み、それが原因でこの神話がさも真実かのように広めた人がいる。どういうことかというと、京都人がイケズではなく、イケズであるかのように仕立てた人物がいるということだ。

 出所は1775(安永4)年に出版された笑話本『一のもり』の小噺で、同じようなネタが1808(文化5)年の十返舎一九の小噺集にもあるという。十返舎一九は江戸住まいの戯作者で『東海道中膝栗毛』を書いた人物として知られているが、上方(京阪神地方)に在住したことがあるので、そのときにこの噺を仕入れたかもしれない。

 これがのちに『京のぶぶ漬け』あるいは『京の茶漬』という上方落語で演じられ、人気を博したという経緯をたどっている。つまりは作り話で、完全なるフィクションなのだ。

 しかも笑話本が出版された当初は京都に限った噺ではなかったらしい。噺の展開がなんとなく京都っぽいということから、落語では京都が舞台になった。

 ということは江戸中期には「京都あるある」噺というイメージができあがっていたのかどうか。むろん確証はない。