津波のように押し寄せてくる悲鳴、叫び、うめき

 ずいぶん長い時間が経った頃、問いかける声があった。

「何歳なん?」

 どうやら右下のほうからのようだ。若い声だった。そちらへ顔を向けたが、暗くて声の主がどんな人物で、どこにいるのかもわからない。再び声がした。

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「どこの大学やで」

「近畿大学やで」

 それっ切り、相手はしゃべらなかった。その人物が、1歳年上の同志社大学2年の林浩輝であることを知ったのは、亮輔が救助されてからだった。林は事故から22時間近くも経ってから最後の生存者として救出された人物だ。

 林の弟が美咲の同級生だったことから、亮輔は一度だけ会ったことがあった。そんな人物が、すぐ近くで同じように身動きできなくなっているというのも不思議な縁だった。

 悲鳴、叫び、うめきが津波のように押し寄せてくる。このまま“生殺し”にされるのかとさえ思えてくる。

 突然、怒りの声が響き渡った。

「うるさい! 静かにしろや!」

 この忘れられない凄絶な状況を、亮輔はずっと後になって思い起こす度に、《あれがぎりぎりまで追いつめられた人間の限界状況というものなのだろう》と、身が震える思いがするのだった。悲鳴をあげる人もうめく人も、「うるさい!」と叫ぶ人も、誰もが生と死のぎりぎりの境に追いつめられている。

脱線した事故車両から運び出される人 ©時事通信社

「どうすれば救出してもらえるのか」という話し合い

 誰もが、叫ばずにはいられないし、うめかずにいられないし、「うるさい」と怒りをぶちまけずにはいられない。誰かが正しくて、誰かが間違っているとか、誰かは忍耐強いが、誰かは弱いといった議論などは意味を持たなくなっている。

 一瞬静寂に包まれたが、しばらくすると、再び苦痛やうめきがうねりとなって、残骸の中に充満していった。

 このままでは、まさに“生殺し”にされかねない。お互いに顔も見えない暗い中で、話のできる数人がどうすれば救出してもらえるか、まず何をしたらよいか、相談をした。すぐに結論が出た。

「ここに俺たちが生きているっていうことを、知らせよう。どこへでもいい、外部に知らせないことには、救助隊だってどこから探せばいいかわからんだろう」

「携帯、誰か持ってませんか。携帯なら110番でも119番でも通じるから」

 その発言に、何人かがわれに返ったように、携帯を探し始めた。みんな身体の自由がきかないので、暗い中での手探りだった。亮輔ももう一度、ジーパンのポケットに手を伸ばそうとしたが、下半身の上には何人もの人々が横たわって重なっていて、とても携帯を取り出すことができない。仕方がないので、近くに落ちていた見知らぬ人の鞄を引き寄せて、中を探ってみた。やはりない。