命綱になった携帯電話
「あった!」
林浩輝の声が聞こえた。携帯がどこにあったのか、どうしてそれまで見つからなかったのかは、亮輔にはわからなかった。林が親にかけているのがわかった。生きていること、自分だけでなく、何人もいること、1両目の車内にいること、早く救助してほしいことなどを、懸命に伝えていた。
――命綱。
亮輔は、《携帯が命綱になった》と思った。そんなことは、それまで考えてもみなかった。何事もなく過ごしている日常生活の中で、まるで空気や水のように、あるのが当たり前になっている携帯。それが、事故や災害で、いくら叫んでも外部に伝わらないような空間に閉じこめられた時、コミュニケーション手段として決定的に役立ってくれるとは。まさに「現代の命綱」だった。
1両目の最前部に乗っていた生存者たちが携帯でようやく外部と連絡が取れたのは、事故発生から何と7時間も経ってからだった。亮輔は、そのことをかなり後になってから知った。携帯の通信記録から、時刻が正確にわかったのだ。
内部へのアクセスが困難になり、救出が遅れた1両目の前部
同じ1両目に乗っていながら、木村仁美や福田裕子がかなり早い時期に救出されたのに対し、亮輔らの発見が大幅に遅れたのは、なぜなのか。
仁美らが閉じこめられた1号車の後部は、マンション駐車場に突入してアコーディオンのように潰れた前部と違って、マンションの外に出ていたので、窓などの開口部を通じて、外部から内部を覗いたり声をかけたりしやすかった。そのことが救助作業を相対的に取り組みやすくしたのだろう。
これに対し、1両目の前部は、中地階構造の狭い駐車場の中で潰れたため、内部へのアクセスが困難になっていた。しかも破壊された自動車からガソリンが漏れて引火の危険性が極めて高く、火花が出るような工具は一切使えなかった。そうした状況の中で、救助隊は、1号車後部をはじめ、2両目、3両目の乗客たちの救出や死亡者の収容に、ほとんど手を取られ、1両目の前部に目が行かなかったのだ。
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