授業に間に合わせるため、快速電車の最前部に乗り込んで

 ホームに出ると、しばらくして快速電車が勢いよく入って来た。ところが、停まるはずの電車が通過するのかと思うほど速いスピードで、先頭がホームの端よりかなり先まで行って、急停止した。《おい、おい、どこへ行くんだ》と、亮輔は電車を追うようにホームの前のほうへ走った。

 ところが、電車は今度は急いでバックしてきて停止した。気がつけば、亮輔は1両目の一番前のドアの前に立っていた。もう1つの偶然が運命のベクトルをさらに悪い方向へ向かわせた。2時限目の授業に間に合うためには、この電車に乗らなければならない。進行方向に向かって左側のドアから入ると、運転席のすぐ後ろの吊り革に右手をかけて立った。亮輔は快速電車の最前部に乗ってしまったのだ。

 MP3プレイヤーのイヤホンを耳に挿し込んで、好きなJポップを聴いていた。目の前の座席には、3人の知らない学生が座っていた。音楽にひたっていたせいか、亮輔は電車が異常なスピードを出していたことにも気づかなかった。

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 塚口駅を通過したことは覚えているが、次に気がついた時には電車は右カーブに入り始めていた。

《何だこの揺れは》そう思った時には、立っていられないほど電車は左に傾いていた。座っている学生たちの上に倒れないようにと、必死に両手で吊り革にしがみついた。

福知山線の列車脱線現場 ©時事通信社

目の前の窓の外にガーッと地面が迫り、女性の悲鳴が

《倒れたら、どうやって身を守ろう》

 そう考えても、事態の進行のほうが早かった。目の前の窓の外に、ガーッと地面が迫ってきた。

「キャーッ」

 女性の叫び声が車内に響き渡った。

 ガリガリガリーッと車体が地面の砂利をこすっていく。吊り革にしがみついていても、身体はもう学生たちの上にのしかかっていた。窓の外の地面がグワーッと超接近してくる。吊り革の両手も、もう支え切れないと思った瞬間、窓が地面に触れ、物凄い破壊音が耳をつんざき、真暗になった。

 亮輔はその時、反射的に目をつぶったのだろう。轟音、摩擦音、衝撃音、吊り革からもぎ取られるように放たれ倒れる自分……。何が何だかわからない中で、気を失ったのだろう。

 何分経ったのか、気がつくと、周りは真暗闇で、何がどうなっているのか、まるでわからなかった。自分がどこにいるのかもわからない。

《生きている。自分は生きてここにいる。》

 そのことだけは、確かだと思えた。

 奇妙なことに、身体は動けないのだが、痛みの感覚は全くなかった。眠りから覚めた時のような感覚だった。やがて周囲の音に対する聴覚が戻ってきた。

「苦しい!」「痛い!」「助けて!」

 暗い車内のあちこちから悲痛な叫び声や泣く声、うめく声が聞こえてくる。わんわん響くほどだ。一体何人くらいだろうと、声の違いを数えてみた。少なくとも10人はいる。だが、離れたところや2両目や3両目にも、沢山いるのかもしれない。不思議だったのは、人々の叫び声やうめき声以外には、何の物音も聞こえないことだった。