むしろ「愛国ソング」と呼ぶべきだろう
「HINOMARU」が今後戦意高揚などに使われることはあるのかもしれないが、少なくとも現時点では(「軍歌っぽい」とはいえても)軍歌とはいえない。
むしろこの歌は、愛国ソング(愛国歌)と呼ぶべきだろう。
作者が同月8日にSNSで「自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています。好きと言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています」などと述べていること、また12日に福岡で行われたライブでも「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と絶叫していることなどからも、このジャンル分けには相応の根拠がある。
HINOMARU
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2018年6月8日
ただまっすぐに届きますように。 pic.twitter.com/McV51WYoX0
そのうえで筆者はすでに、「HINOMARU」が愛国歌として完成度が低いと述べたところである。初動で「軍歌だ」「いや、軍歌ではない」との不毛な議論になってしまったことが惜しまれる。
われわれは日本の軍歌についてあまりにも知らない
では、本当の軍歌とはいったい何だったのか。
日本の軍歌は、明治時代だけで2621曲にのぼるとの実証的な研究がある(長谷川由美子「明治期に出版された軍歌目録」。呑海沙織編『戦争と文化』収載)。
出版文化とレコード産業が栄え、ラジオ放送もはじまった、大正・昭和時代も加えると、おそらく軍歌は1万曲近くにのぼるのではないかと推測される。
このような膨大な遺産が残っているにもかかわらず、われわれは日本の軍歌についてあまりにも知らない。それはもったいないことだし、軍歌をめぐる不毛な議論の原因にもなっている。
今回の騒動を契機に、軍歌について軽く知っておくのも無駄ではあるまい。
ただし、軍歌は実用的な音楽なので、厳密な定義になじまない。そこで、以下では軍歌にまつわる4つの誤解を通じて、この毀誉褒貶が激しい音楽ジャンルの実態に迫ってみたい。
なお本稿では、近代日本の軍歌をおもな対象とする。