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誤解その2「軍歌と戦時歌謡は違う」

 以上のように述べると、必ずこういう反応が返ってくる。「軍歌は軍人のための歌である。これにたいし、銃後国民のための歌は戦時歌謡という。この両者は違うもので、混同してはならない」と。

 これもまた、軍歌をめぐってよく聞く間違いだ。国民皆兵や国家総動員の時代には軍民間の垣根がきわめて低く、「軍人向け」と「銃後国民向け」との境目はきわめて曖昧だった。

 大体「戦時歌謡」という言葉は、戦前・戦中にほとんど用例がなかった。当時はむしろ「国民歌」「愛国歌」「時局歌」「軍国歌謡」などの言葉が、とくに定義もされず漫然と「軍歌」と一緒に使われていた。

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 ではなぜ「戦時歌謡」という言葉が定着したのか。それは、レコード会社が1960年代ごろ軍歌を「懐メロ」として売り出すときに「戦時歌謡」(戦時下の歌謡曲の意味)という名称を事実上作り、普及させたからである。そこから、軍歌と戦時歌謡の区別らしきものが事後的に立ち上がってしまった。

愛馬進軍歌の発表 ©文藝春秋

 あまたの軍歌を作曲した古関裕而でさえ、この間違いを犯している。古関は自伝『鐘よ鳴り響け』で、自作の「露営の歌」を軍歌ではなく戦時歌謡だと述べた。だが、1937年にコロムビアから発売された「露営の歌」のSPレコードには、「軍歌」と明記されているのである。当事者の証言さえ、このように頼りにならない。

 軍歌をめぐる分類案はほかにも存在し、まるで神学論争のようになっている。あまりにも細かいので、そのいちいちは取り上げない。それよりここで大切なのは、戦前・戦中にそのような分け方が全然普及しておらず、かなり曖昧だったということだ。

 軍、官、企業、民衆――これらの当事者が複雑に関わりあい、軍歌を作っていた。この点にこそ、当時の特色がある。それは、軍隊の存在が切り離しがたく浸透していた戦前社会の反映でもあった。

 あまり分類にかまけていると、その実態を見失ってしまうだろう。

誤解その3「軍歌は勇ましい曲ばっかり」

 このように軍歌は多種多様だったので、けっして勇ましい歌詞やメロディーだけではなかった。消費者である民衆も、マーチ調ばかりでは飽きてしまう。そこで、音頭調やジャズ調の軍歌さえ生まれた。

 今回の「HINOMARU」騒動にも関係するが、軍歌は歌詞やメロディーだけで決定づけられない。この点についてはすでに述べたので、割愛する。