文中に出てくる「百恵さん」とは、元歌手の山口百恵のことだ。聖子はちょうど引退する百恵と入れ替わるようにデビューしたことから、彼女と比較されることが多かった。先に引用した文章は、取材のたび百恵について感想を求められるので、引退してすでに自分とは違う場所にいる人についてコメントをするのは失礼だと苦言を呈する流れで出てくる。ちなみに『青色のタペストリー』は、構成をこのころ本音エッセイで人気を集めていた林真理子(翌1983年に小説家デビューする)が担当したからか、これ以外にも聖子からけっこう率直な発言が出てきて興味深い。
結婚後は主婦業に専念するつもりで休業へ
山口百恵と比較されることは、1985年に23歳で俳優の神田正輝と結婚し、翌年の出産と前後して活動に復帰するとさらに目立つようになる。百恵が結婚に際して引退して家庭に入ることを選んだのに対し、結婚・出産後も仕事を継続した聖子は、女性の社会進出の象徴とも目された。そこには、ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時代背景もあったのだろう。
聖子自身は、母親が専業主婦だったことから、結婚したら家庭に入るのが普通かなと思っていたという。実際、結婚すると主婦業に専念するつもりで休業に入った。結婚して約半年後に当時の本名の神田法子で出版した自伝『聖子』(小学館、1986年)でも、《いまの私は、まだまだうたうことと家庭とが、ギャップもなくすんなり両立するとは思えない。うたうことよりも何よりも、私はいま、彼との暮らしを大事にしたい。そして母親になりたい。/歌も大好きだけれど、ここ当分は神田法子として、主婦という新しい“仕事”に生きたいと思っている》とつづっていた。
しかし、この前後の文章では、テレビで歌番組を見たあとで《「やっぱり歌番組というのは、私にとっては見るものではなくて、出るものみたいだなあ」と胸のなかでひとりごとをいっている自分を知った》と明かすなど、迷いもうかがえる。周囲の人にもひそかに相談していたようだ。CBS・ソニーで聖子を世に送り出すのに尽力した一人である稲垣博司(のちのソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役副社長)はこのころ、彼女から結婚生活の悩みをつづった手紙をもらっている。そこには「歌手をやめたい」とまで書かれており、稲垣は本人と話し合って、何とか翻意させたという(『文藝春秋』2025年1月号)。

