夢破れ「30歳を目途に辞めよう」と決心
――ジュン選手は幕下に上がってからは勝ち越しと負け越しを繰り返しています。幕下以下は、本場所で7番の相撲を取るわけですが、4勝し続けることはやはり難しいのでしょうか?
ジュン 最初の3年ぐらいは順調に番付を上げることができたのですが、幕下に上がってから、どうしても伸び悩んでしまって。やはり……気持ちですね。初めて幕下に上がったときも、3勝1敗までいって、あともう1番勝てば勝ち越すというところで、そこから3連敗して負け越してしまった。
レイ それを何回も繰り返したもんな。
ジュン また3勝1敗までいくんですけど、そこから3連敗して三段目に落ちるっていうのを何回も繰り返したんですよ。勝たなきゃ絶対にダメだと思うと考えすぎて、体が硬くなって良い相撲が取れない。それが続くと、勝手に自分の中で“幕下の壁”みたいなものがあると思い込んでしまって、さらに悪循環になるというか。だから気持ちの面でも弱かったんだろうなって思いますね。
――レイ選手もやはり気持ちの面で勝ちきれなかった?
レイ そうですね。
ジュン 弟はケガもあったんですよ。
レイ これは言い訳ですけど、左肩の筋肉が切れて、一時期ボルトで固定していたんですね。その前までは番付も三段目の上位にいたんですけど、その怪我を機に2場所ほど休場して。以降は、元の番付まで戻すことができなかったです。その後には、目を怪我して、また休場してしまって。そこからは稽古もいまいちな感じでした。
――お二人が出羽海部屋に在籍していた時代の関取というと……。
ジュン 普天王関、出羽疾風関がいました。その後、自分らが5年目くらいのときに御嶽海関が入ってきて、これはものが違うなって。
――御嶽海関は、幕下10枚目格付出の資格を持つ学生横綱でした。
レイ 速攻で十両に上がると、いきなり十両でも優勝して。自分は付き人をやっていましたけど、強い人って当たり前のように上がっていく。それこそ横綱や大関になるような人は、さらにそこから人の何倍も努力している。そういう姿を見て、自分たちはいろいろ足りないなと気が付いたというか。
ジュン 28歳くらいのとき、弟と「30歳を目途に辞めよう」という話をするようになりました。
レイ 諦めました。28歳になって、今いる番付から逆算して関取になるのは現実的じゃないかなと思って。
