30歳オーバーで未経験、なのに突然、「プロレスをやらないか」

――力士の引退は、「廃業」という言葉が使われます。ゼロに戻る――不安や恐怖もあったと思います。

レイ いざ辞めるとなったときは、やっぱり不安が大きかったですね。でも、やりたいこともたくさんあったので、違うことにトライしてみたいという気持ちもありました。自分の場合は、アウトドアや山登りのガイドのようなことをしたかったので、アメリカに戻ることにしたんですよね。

ジュン 自分は元々、トラック運転手をしていたので、引退したらアメリカに戻ってトラック運転手をやろうと決めていました。ただ、普通のトラック運転手ではなくて、アラスカなどの寒冷地で、凍った湖や川の上を走る特別なルート「アイスロード」を利用して物資を輸送する、専門のトラック運転手になりたいと思ったんですよね。

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レイ 過酷で危険な仕事だったよな。

ジュン ちょっと危ないとは聞いていたんですけど、普通のトラック運転手じゃなくてアイスロードトラック運転手になりたくてアラスカまで行ったんですよ。

――メジャーデビューシングル『どっち?』のカップリング曲のタイトルは、『アラスカの空』。「夢の途中で躊躇うなら アラスカの山を見に行こう」という歌詞は、当時のジュン選手の心境だったんですね。

ジュン ところがその当時、アメリカ国内でそんな危険な職業の必要性があるのかと議論になって、需要そのものが減ってしまうんですよ。

ジュンさんの衣装はバイク乗りのようなシュッとしたスタイル

レイ 普通の人はそんなことを思い立たないからな(笑)。

ジュン 結局、アイスロードトラック運転手になることができず、アメリカ本土に戻って仕事をしていたんですけど、自分らの母親が独り身で日本にいるじゃないですか。いろいろ考え直して、一度日本に戻ろうと決めたんです。

レイ 自分はアメリカで林業のお手伝いみたいなことをしていたんですけど、兄が日本に戻るというので、とりあえず一旦協力しようと。一緒に住めばお金も節約できるからということで、角田市からそんなに遠くない仙台市で暮らすことにしました。

ジュン そこを拠点に、各々が住み込みの仕事やアルバイトをしていたんですよ。レイは山小屋に行ったり、自分は自分で北海道洞爺湖の温泉旅館に住み込みで働いたりしていた。それで仙台に戻ってきたら、ある日突然、「プロレスをやらないか」って誘われて。