では、ここで増崎が筆者の述べたようなある種の処世術を選択し、そのおかげで上記のような修羅場が回避できたとすれば、それは「両思い」と言えるのだろうか。増崎が彩芽の意思を汲み、それに沿った行動をとったという意味では「両思い」の側面はあるのかもしれない。とはいえ、それが心からの行動ではなく、単なるトラブル回避のための選択であろうことを考慮すると、やはりこれも「片思い」に留まると言わざるを得ないのではないか。
表面的には意思の疎通が滞りなく進む、すなわち「両思い」であるように見えても、内心ではまたそれぞれが異なった思惑を抱えている、ということはむしろ生活のなかではありふれたものだろう。
「職場がキモいおっさんとふたりでさ」
より日常に立脚した形で、『片思い世界』の劇中でそうした例をあげると、水族館の職員たちの掛け合いのシーンだろう。仕事に向いていないのではないかと語り、退職を示唆する若い職員・加村大翔(諏訪珠理)。それに対し、年配の職員・村上直行(尾上寛之)は、「ペンギンに好かれたかったらまず心を開かないと」と優しげに励ます。和やかな会話に見えるが、そののち、大翔は誰かへの通話で「職場がキモいおっさんとふたりでさ、ペンギンに心を開くってなんだよ、マジ死んでくれって感じ」などと村上のことをあざ笑っている。いささかショックを受けるシーンだが、とはいえ、大翔がことさらに悪い人間というわけでもないだろう。
目の前の誰かに対するモヤモヤや割り切れない思いを抱えながらも、それを表面的には出さず、穏やかにやり過ごすことが社会人として求められる態度のひとつではあるだろうし、彼のような二面性(あるいは三面性、四面性、五面性……)は明確に意識せずとも、多くの人に身に覚えがあるもののはずだ。
しかし、『片思い世界』が示唆するのは、なにもそのような人間社会の理に付随して生まれる「片思い」の存在のみではない。むしろ本作の核となるのは、より物理的な次元における「片思い」である。
