はなればなれでも 目に見えなくても 君に呼びかける
(中略)
声は風 風は夢 飛んでけ
高く飛んでゆけ
永遠 最果て 約束
君が好き 背筋のばして
元気でね 元気でいてね
じゃあね またね
(中略)
花が忘れても 種はおぼえてる
生きるよろこびを
こうした歌詞から読み取れるのは、自身とは遠く離れた他者――それが死者とは限らないが、少なくとも、容易に触れることはできない他者――への呼びかけである。そして、合唱のシーンでは、美咲、優花、さくらの12年の軌跡が回想として現れ、3人の絆の強さがふたたび強調されると同時に、3人の表情とともに、典真や児童たちの表情にも焦点が当たる。3人と典真や児童たちは、異なった世界に生きている。しかし、それぞれが他者への思いを歌に仮託して昇華させることで、そこには何らかの交錯が生まれたように感じられてくるのだ。
ラストシーンにはほんのりと明るさが感じられるとはいえ……
もっとも、こうした「両思い」の感触を、たんなる感傷に過ぎない、と切り捨てることもできる。前述の通り、3人は現実の世界に戻ることをどこかで希求しながらも、それは叶えられず、「片思い」に満ちた世界での暮らしを引き続き余儀なくされることとなる。ラストシーンにはほんのりと明るさが感じられるとはいえ、彼女たちの行く先を安易に肯定することはできないだろう。
『片思い世界』の物語は、全体としてはややいびつさも感じる。そうした心象に寄与するのは、大きくは、3人が暮らす世界の設定に疑問が少なからず残る点である。彼女たちはなぜ、肉体的な死を迎えてからも年を取り続けているのか? 生者たちに触れることができないのに、なぜ現実世界のドアに遮断されるのか? 彼女たちが口にする食べ物や着る服は、現実世界のものを調達しているように見えるのはどういうことか? 劇中では3人の世界の成り立ちは、「素粒子」や「スーパーカミオカンデ」といった言葉によって説明されるものの、その細部は十分な整合性が担保されているとは言い難く、物理学の素人から見ても、どうにも違和感を払拭することはできない。