「片思い」について、まずはインターネット上で意味を検索してみた。あるページによれば、「自分のことを思ってもいない人を、一方的に恋い慕うこと」とある(※)。ここでの「恋い慕う」が示すように、「片思い」は一般的には恋愛の状態を指す言葉とはみなされてはいる。とはいえ、少し視点を変えれば、「片思い」はよりありふれた、一般的なコミュニケーションや意思疎通に敷衍させて考えることもできる言葉だろう。
映画『片思い世界』で描かれた“やり場のない怒り”
映画『片思い世界』の中で、そうした「片思い」の例を考えてみる。本作では、かつて娘を無差別殺人によって失った女性・木幡彩芽(西田尚美)が、その犯人であり、すでに社会復帰を果たした(犯行当時は未成年であり、そこまでの極刑には至らなかったことが推察される)男性・増崎要平(伊島空)に会いに行く、作中でもひとつのヤマ場となるシーンがある。増崎への怒り、また娘を奪われたことへのやり場のない思いを、しかし感情をぎりぎりのところでおさえながら増崎に吐露する彩芽。
しかし増崎は、「あ、はい」「わかります」などと真摯さがうかがえない生返事を繰り返すばかり。その果て、「なんで殺したの?」という彩芽の問いには正面から答えることなく、「(職場に)戻らないと」と、彩芽が彼を連れてきた車に乗りこみ、彩芽に運転をうながそうとするのだ。彩芽はそんな増崎の態度に平静を保つことができず、ナイフを増崎に向け、やがて車内は生きるか死ぬかの修羅場へと移行する。
このシーンを見た筆者は、増崎に怒りを覚えながらも、同時に彼の「空気の読めなさ」に、いささかの困惑を覚えた。こうした場合、たとえ反省の思いがかけらほどもないのだとしても、神妙な表情をして、それらしき謝罪や後悔の言葉を、涙や嗚咽でつっかえながら口にするのが求められる態度ではないだろうか、と感じたのだ。もちろん、それを受けたところで彩芽が簡単に納得できるとは思わないが、少なくとも自身の命が脅かされるような事態は、低くない確率で避けられたように思ったのである。
何かしらの厳密な定義にもとづいた判断ではなく、あくまでも直感的な感触となるが、このシーンが「片思い」か「両思い」かでいえば、「片思い」ではあるだろう。彩芽が増崎のもとを訪れた背景には、意識下であれ無意識下であれ、増崎に対して「誠実さ」を求めていたことが観客には推察できるが、増崎はそれが垣間見えるような態度をとることはない。また、その後の彩芽の激昂からも、両者の気持ちが何らかの通じ合いを見せたとは、とても言うことはできない。
