こうした物語の推移を体感すれば、少なからぬ観客が、生者たちが住む現実世界と、美咲、優花、さくらの世界がどこかで交わりを見せることを期待するだろう。しかし、結論から言えば、ふたつの世界は最後まで明確な交わりを見せることはない。

©2025『片思い世界』製作委員会

 そのいっぽうで強調したいのは、『片思い世界』は、けっして悲観的なテイストに終始しないということである。明確な交わりはなくとも、たしかに3人と生者たちのあいだには、「両思い」が生起したようにも思えるのだ。本作には、その節々に「両思い」の萌芽が顔をのぞかせている。

 それはたとえば、彩芽が娘・海音と作った三日月型のクッキーである。彩芽のもとを訪れた優花は、ちょうど焼きあがったさまざまなかたちをしたクッキーを見て、「私はこれが好き」と三日月型のクッキーを指さす。じつは彩芽の娘であり、調理の場では、母と自身の死後に生まれた妹と意思の疎通ができないことに悲しみを覚えていた優花であったが、のちに彩芽が、ポケットの中に三日月型のクッキーを忍ばせていたことに気づき、不思議なあたたかみを覚える。

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 また、美咲が現世で命を落とす直前に作った、『王妃アグリッピナの片思い』という音楽劇のシナリオについても然りである。『アグリッピナ』に合唱団の仲間である高杉典真(横浜流星/林新竜)から音楽をつけてもらうことを望んでいた美咲であったが、その直後に自身が命を落としてしまったため、それはかなうことはなかった。しかし、12年の時を経て、『アグリッピナ』が書かれた美咲のノートを典真が見つけたことで、交わりの萌芽は訪れる。典真は終わりのほうのページを目にし、登場人物・コルネリアの台詞を口に出して読む。

 台詞のなかでは、コルネリアは思い人であった王妃アグリッピナに心情を打ち明けるのだが、それを読む典真のそばにいた美咲は、自身もコルネリアの台詞と台詞の間にある、アグリッピナの台詞を口にしはじめるのだ。やがて音楽劇のなかでは、コルネリアとアグリッピナは結ばれたことがわかり、それぞれの台詞を読み、劇の終幕にたどり着いた美咲と典真も微笑みを浮かべる。美咲は、典真により近づき、彼を抱きしめる。

合唱曲の歌詞から読み取れること

 そして、「両思い」を感じさせる真打となるのは、終盤で登場する合唱曲『声は風』の存在である(作曲:大藪良多・山王堂ゆり亜、なお作詞は「明井千暁」の筆名で脚本を担当した坂元裕二が手掛けている)。中盤、3人はかつて生前に所属していた合唱団が新たにコンクールを行うことを知り、自分たちの声が生者たちに届くことはないと知りながらも、練習のうえ参加することを決意する。そして、コンクールの課題曲こそが『声は風』なのだ。その歌詞を一部引用してみよう。