「土佐大崎」と「大崎」
次は「土佐大崎」と聞こえた。「『大崎』はもっと先なのだろう」とのんびり構えていたが、ここで多くの客が席を立った。途中で乗ったおじいちゃん、おばあちゃん達も出口へ向かう。車内は一気にガラガラになりそうだ。
ふと気になった。「もしかしてここが乗り換え地点ではないのか」
外を見ると、県のHPに写真が載っていたのと同じ木造平屋建ての「バス待合所」があった。
「ここだ!」。急いで出口に向かう。間に合ったのは、おじいちゃん、おばあちゃん達が下車に手間取っていたからだった。助かった。
実は、このバス停には二つの名前があった。
黒岩観光バスは「土佐大崎」と言い、仁淀川町のコミュニティバスは「大崎」と言う。あろうことか、県のHPにも、町が作成した時刻表にも「大崎」としか記されていなかった。「土佐大崎」のアナウンスに反応できなかったのは仕方ない。
なぜ二つも名前があるのか?
それにしても、なぜ二つも名前があるのか。後で仁淀町役場の担当者に尋ねると、「路線バスの『土佐大崎』は旧国鉄時代の名残と聞きました」と話す。
仁淀川町には鉄道が走っていない。旧国鉄バスの停留所だ。「大崎には町役場があり、地元では誰もが知っている地名です。町民的には『土佐大崎』でも『大崎』でも違和感はありません。ただ、紛らわしいですよね。個人的には統一したいなと思っています」と語る。
省営バスの時代から走っていた路線
調べると、佐川-大崎間は今でこそ寂れた山間部の路線だが、かつては高知-松山間の都市間交通の一翼を担っていた。単なる大崎ではなく、他県民にも分かる「土佐の大崎」という意味合いだったのだ。
『愛媛県史』(1986年)によると、戦前の1934(昭和9)年、鉄道省が四国で初めて省営バスを走らせた。翌年に松山-落出(仁淀川町の隣の愛媛県久万高原町)、落出-佐川間で運行を開始し、「土佐大崎」は後者の区間にある。

