旅館主夫妻、ナゾの失そう 塩原、金策すると相ついで

 

 塩原町福渡、温泉旅館ホテル日本閣主人、生方鎌輔さん(53)と妻ウメさん(48)の2人は昨年2月から12月31日までの間に相次いで失踪。行方はナゾを秘めているが、殺されているのではないかと心配され、大田原署が本格的な捜査を開始した。

 

 日本閣は昨年暮れ、紅葉シーズンが終わってからは番頭、料理人、女中さんたちを帰してしまい、主人の鎌輔さんの失踪後も、共同経営者の小林カウさん(52)が一人で留守を守っている。

 

 ウメさんは昨年2月11日、30万円を持ったまま行方をくらまし、実弟の同町古町、旅館番頭・相沢福太郎さん(45)から大田原署に捜索願が出された。同署の捜索は昨年5月中断されたが、同年12月31日になって、またまた鎌輔さんが金策に行ったまま、1カ月半以上たった今も帰ってこないため、大田原署が再び捜査を進め、小林カウさんから事情を聴いた。

失踪事件として最初に報じた栃木新聞

 末尾には「小林カウさんの話」として、彼女の談話がある。

「鎌輔さんは、日本閣が経営不振でどうにもならなくなり、『今度こそ金策をしてくる。かなり長くなる』と言って出かけたので……。ウメさんが出た時は荷物を全部持って行きました」

 栃木は翌19日付社会面トップで生方夫妻と日本閣、そして小林カウの写真を添え、大きく報じた。見出しは「生か死か ナゾを秘める 旅館主夫妻の失跡事件 全く手がかりなし “複雑な共同出資” 大田原署で本格捜査」。

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 記事では、カウが「夫妻が死んでいるとは思えぬ。特に金策に行った鎌輔さんは必ず帰ってくる」と前置きして大田原署の事情聴取に述べた内容を次のように書いている。

経営不振だったホテル

 おかみのウメが失踪、その後、主人の鎌輔も……生方さんは塩原門前の大火(1957年)の頃、それまでやっていた芸者置屋を改築してホテル日本閣(約330平方メートル)を開業。以前は旅館の番頭をしていて客扱いもうまかったが、自分で経営してみると案外うまくいかず、経営はだんだん苦しくなった。日本閣のなじみ客だった東京の建築会社社長から「390平方メートル増築して共同経営をしよう」と持ち掛けられ、生方さんがそれまでの日本閣の建物を現物出資という形で1959年ごろ、株式会社に切り替えた。

 

 表面華やかに増築工事を始めたが、金が続かず、工事は外装だけで中断された。ますます苦しくなった生方さんは、同じ塩原で物産店や食堂をやっていたカウさんにも相談。カウさんも共同経営の話に乗って、増築の建物をカウさんが買い取ることで共同経営者になった。その際、カウさんは地代分として現金30万円を渡したという。ウメさんの姿が見えなくなったのはその2~3日後。タンスはもぬけの殻で、30万円もなくなっていたという。

 

 その後も日本閣の経営は思わしくなく、カウさんは再建に300万円をつぎ込んだが失敗。生方さんは大みそかに一人、行く先も告げずに出かけたまま、なんの連絡もないという。

栃木は写真も添えて大々的に報じた(栃木新聞)