さらに翌20日の同紙には「“特別の別れ方した” 元同旅館の雑役夫語る」「事件の重要参考人とみられる塩原町塩釜、土工、大貫光吉さんが栃木新聞社大田原支局を訪れ、生方さん夫妻失踪の模様を次のように語った」という3段の記事が。概略は、以下のような内容だ。
「金がない」「ウメとは特別の別れ方をした」
〈失踪前夜の12月30日午後7時ごろ、昨年3月ごろから同旅館の雑役をしていた時の未払い賃金約9000円を請求するため、同旅館を訪れた。生方さんは茶の間で小林さんと酒を飲んでいたが、大貫さんが「年が越せないので、賃金を払ってくれ」と談じ込んだところ、「いま金がない。あす来てくれ」と言われた。
翌31日午前8時ごろ、再訪すると、小林さんが1万円札を出して「つりは仕事で相殺するからいい」と手渡してくれた。大貫さんは昨年8月ごろ、生方さんと2人だけで酒を飲んだことがあるが、生方さんは盛んに経営不振をこぼしており、「ウメとは特別の別れ方をしてきた」と漏らした。大貫さんが「特別の別れ方とは?」と聞いたところ、言葉を濁したという。〉
栃木は当時カウに「じか当たり」しており、その笑顔の写真を2月25日付に載せている。写真説明は「逮捕寸前、本社記者に対して『どういうわけか、いつの間にか鎌輔さんもウメさんも姿を消してしまったのです。私も心当たりを探しているのですが……。写真? どうぞ』と胸を張るカウ」となっている。ここまではカウと大貫の供述だが、20日付栃木が大貫を「重要参考人」と書いたように、この時点で警察はもちろん、新聞もカウと大貫が「怪しい」と見ていたのは間違いない。
「日本閣のおかみさんがいなくなった後、共同経営者としてカウが乗り込み、主人までいなくなった」ことは、塩原の温泉街のうわさとして広まり、警察も既に重大な関心を持って内偵を進めていた。『栃木県警察史 下巻』(1979年)はその点について詳しく書いている。端緒は栃木新聞が書いたようにウメの実弟からの届け出だった。

