「私たちには特別な絆がある」と信じて疑わなかった理由
――楠先生は結婚当初、すでに売れっ子漫画家で有名人だったかと思うのですが、そのあたりで気を遣うこともあった?
楠 結婚当初は、「あれ取ってこれ取って」って言われて、あなたの方が近いのにと思ったけど大人しくやってましたし、彼が遅く帰って来ても、絶対に夕飯が食べ終わるまで付き合ったりして。
当時、夫はまだ普通のサラリーマンだったので、陰で「逆玉に乗ったな」って言われたりしたらしいんです。だからこそ私はお金のことは口にしなかったし、彼を立ててやってきたつもりでした。
最初は生活費10万円くらいは入れてもらっていたんですけど、流産や死産で大変だった時期にうやむやになって。家は全額即金支払いで私名義でしたし、当然、固定資産税の支払いも私でした。流石に貯金が無くなったので、生活費のために漫画を描いて忙しくしていたんです。
夫には教育費と老後のお金をお願いして、夫婦だからそれでいいやって思ってました。
――ご著書の『不育症戦記』では、夫婦で流産や死産を乗り越えてきた様子が描かれていました。
楠 7回妊娠したんですが、不育症でそのうち流産3回、死産を2回経験していて。当時は支えてくれた夫に本当に感謝していたし、彼との特別な絆を感じていたんですよね。
「さすがに家空けすぎじゃない?」と言ったこともあったけど、あれだけ辛い死産・流産を乗り越えて子どもを授かった私たちには特別な絆がある、私たちは大丈夫と思って、疑ってなかったです。
離婚を完全に決意させた出来事とは…
――絆の強い夫婦だという思いがあったんですね。
楠 でも、不倫発覚後に夫から、私は土日もずっと仕事をしてたんで、本当は一緒に出掛けてほしかった、とは言われましたね。
私は夜に2人で外食できたらそれがデートと思ってたけど、「あれはデートじゃないよ」って言われて。一方で、愛人は丸一日ドライブにつき合って、私がやらない釣りやゴルフも一緒に付いてきてくれる。それを君としたかった、とは言われましたね。
――SNSでは元夫が憎い一方、大好きだった、という気持ちも吐露されていました。
楠 離婚した今でもカオスですよ。「許したい」と「許せない」の葛藤の日々です。どちらも本音で本心で、でも結局、心の底から幸せだとは思えなかったから、離婚を選びました。
――不倫発覚後から離婚することは決めていた?
楠 夫の友だちで1人だけ不倫を教えてもらっていない同級生がいて、彼だけは“団体戦の不倫”を一切知らなかったんです。家庭も円満な方で、その方の妻とも仲良くしていたこともあり、彼の存在は私にとって救いだったんですね。
でも連絡してみたら、自分だけ不倫を秘密にされていたことにショックを受けて、「何があっても僕は夫の友だちだから、悪いことをしてるとわかっていても彼の味方する」と言われて。
夫の友人に不倫を止めてくれる人は1人もいないのかと絶望しましたし、ここから離れないときっとまた傷つけられると感じて、その2週間後に離婚届を出しました。
私に離婚を完全に決意させたのは、まともだと思っていたその友だちさえも不倫に加担する、という宣言でした。それくらい絶望したし、縁切りを決意した出来事だったんです。
写真提供=楠桂さん
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