国家から「反社会的組織」と定義されている暴力団。その構成員や準構成員の家族、とりわけ子どもはどのような人生を過ごし、大人になっていくのか。『ヤクザの子』(石井 光太著、新潮社)から一部抜粋してお届けする。なお、登場する証言者やその関係者は、身に危険が及ぶことを考慮して全て仮名にしている。(全3回の1回目/2回目を読む/3回目を読む)
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河野晴子(こうの はるこ)の人生は、20年以上もの間、覚醒剤によって翻弄されてきた。父親、母親、夫、周りにいる全員が覚醒剤によって生活を狂わされ、晴子自身の人生も破綻したのである。
1985年、晴子は神奈川県横浜市で生まれた。母親にとっては3番目の子供だったが、上の姉と兄は父親が違った。母親は最初の夫との間に姉兄をもうけ、2番目の夫である河野竜司(りゅうじ)との間に晴子を産んだのだ。
この再婚相手の竜司が、指定暴力団山口組3次団体の構成員だった。九州で生まれ育った竜司は、中学卒業後に大阪に出て、山口組の傘下組織の親分の盃を受けて暴力団の世界に足を踏み入れた。やがてこの傘下組織が関東に進出することになり、竜司も親分について行った。
横浜市内に組事務所が置かれたことで、竜司は近所にあるクラブへよく通った。そこでホステスとして働いていたのが、晴子の母親である友理(ゆり)だった。彼女は長女と長男を前夫に引き取らせていたことから独り身だった。竜司のことを暴力団構成員だと知っていたが、豪奢なところにほれて結婚。そうして生まれたのが晴子だった。
