40キロ付近まで並走を続けた。それなのに…
玉のナナメ下から角を打って桂を取り、竜を回って王手する。金を使ってしまったので合い駒に金を打てない。さほど難しくない13手詰めだ。だが藤井は底歩で受けるという確実な手を選んだ。
第1局では「将棋は数学ではない。すべてを証明する必要はなく、1つ勝ち筋を見つければ他を調べる必要はない。それが手順が長かろうと危険な順だろうと緩手だろうとかまわない。藤井は読み抜けていたのではなく、むしろ効率的に読んでいたのだ」とつづったが、この言葉を2度も使うとは思わなかった。
この底歩を飛車で取ると永瀬玉が詰む。しかし、銀で取ると詰めろが消える。投げるかなと皆が思っていたが、永瀬は銀で取った。3度目の軽いどよめきが。銀の裏に根性と書いてある。これぞ永瀬だ。
とはいえ1手違いにもならない局面を見て、私は切なくなった。マラソンのような長期戦で、永瀬は力の限り走り続けた。初日は藤井の息遣いをずっと感じながら、離されないように慎重に指した。並の棋士ならば藤井のプレッシャーに押し潰されていただろう。飛車の反復運動をすること実に5回、さらには玉の上下運動もして、ぎりぎりのところで均衡を保った。
2日目は先に仕掛けた。40キロ付近まで並走を続けた。それなのに、たった1手のミスでひっくり返った。なんて将棋は残酷なのか。
恐るべき、恐るべき終盤力だ
最後は角打ちの王手で永瀬が投了。
終局時刻は21時27分で、藤井の名人戦12局の中で、一番遅かった。
投了以下は△3二玉に▲5二香成△同飛成▲5三角成で鮮やかな必至がかかる。藤井はまたもや持ち時間を3分残した。102手目に逆転のチャンスを迎えたところから最後の141手まで、わずか15分の考慮かつノーミスで乗り切ったということになる。恐るべき、恐るべき終盤力だ。