姉妹のようでありながら、対照的なふたり

──ミシェルとマリー=クロードは同じ仕事、同じ過去を背負っているのに、それに対して、まったく違う感情を持っています。

オゾン ミシェルとマリー=クロードは姉妹のようでありながら、どちらかが明らかに苦しみを背負う構造にしたかったのです。

 マリー=クロードは過去の自分に罪悪感を抱きながら質素に暮らしています。息子の苦境を自分の責任だと感じ、「私は果たしてよい母親だったのだろうか」と自問自答する日々の中、苦しみに身体を蝕まれ、最後は病に倒れます。

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 一方、ミシェルはもっと現実的です。自分に残された時間がそれほど多くはないことを客観的に判断し、「残された時間は短いのだから今を有意義に生きなきゃ」と逞しく生きている。この対照的なふたりを描くことで、人生の終盤をどう生きるか、生き抜く力というものを表現したかったのです。

監督自身の死生観

──人生終盤を迎える不安や寂しさではなく、「死ぬまで生きる」という人間の強さや逞しさを描かれたのですね。監督ご自身は「老い」や「死」についてどのようにとらえていますか?

オゾン 老いは誰にでも平等にやってくるので、誰もが老いと共に生きていかなくてはいけません。私が本当に興味をもっているのは、死ぬ直前まで楽しむにはどうするか、ということです。死の直前まで精一杯生きる。そこを目指して生きていくことが重要だと思っています。

 フランスの偉大な哲学者であるモンテーニュは、「死というものを飼い慣らすためには、毎日死について考えることだ」と言っていますが、それはとても重要なテーマなので、本作でも随所にその要素を入れ込んでいます。

フランスにおける「秋」

──日本では人生の終盤は「冬」をイメージします。タイトルに「秋」を使ったのは、なぜですか?

オゾン フランスでは、秋はとても詩的な季節です。樹木が美しく色づき、枯れ葉として落ちていく。それはミシェルの人生とも重なります。

 ラストはミシェルがシダの群生する森の中で倒れ、彼女自身がまるでキノコになったかのようなシーンで終わりますが、あれは命の循環を表しています。

 このラストシーンのアイデアが私はとても気に入っています。