最初に別居してから約2年半、碧子さんは離婚の危機に慄き続け、日常生活を脅かされるほどに苦悩させられてきたトラウマから、夫から久しぶりに発せられた「離婚」という言葉に過剰反応してしまったのだ。
「ここまで夫婦として修復してこれたのに、まだ離婚なんて言ってるの?!」
冷静に努めているように見える夫も、碧子さんの置かれている状況や気持ちまでは理解できていなかったのかもしれない。お互いがひたすら自分の要望を繰り返し、会話が噛み合わない。
「碧子が『絶対離婚しない』という度に俺の気持ちが置いていかれているみたいで辛くなる。離婚したいとかしたくないとかそういうんじゃなくて、たまには俺の話を聞いて欲しい!」
何度も「離婚」という言葉を口にする夫に、碧子さんは泣き叫んだ。
「あなたを愛してるかわからない。それでも離婚はしない。それが私の価値観なの! 私は私の価値観を信じて生きていくの!」
激昂する父親と穏やかな母親
碧子さんは、九州生まれ九州育ちだ。両親は、物流系の会社員の父親が39歳、家業のスポーツ店を手伝っていた母親が32歳の時にお見合いで出会い、3ヶ月後に結婚。翌年に碧子さんが、その3年後に妹が産まれた。
「父はいわゆる『THE九州男児』でした。自分がルールで、気に入らないことがあると、すぐに声を荒らげたり、物を壊したりしました。その反面、内気で繊細なところもあり、友人は少なく、1人で自室に篭って本を読むのが好きでした。逆に母は、穏やかで従順で、激しい父に対して、我慢しているように見えました。私が10代の時は『仲が悪い夫婦』と認識していましたが、大人になった今思い返すと、良かったとも悪かったとも言えないと思います。私たち姉妹が巣立った後は、夫婦で買い物に行くなど、毎日仲良く一緒に過ごしていました」
穏やかな性格の妹とは仲が良く、一緒に遊んだり、母親と3人でフルーツポンチを作ったりした。
父親は登山が好きだったため、子どもの頃は、家族4人で山へ出かけることが多かった。しかし父親が怒り出すタイミングは、いつも突然だった。
