両親には「いじめ」を口実にした。すると意外にも父親は、頭ごなしに「学校に行け」とは言わなかった。

 すぐに両親は担任と連携をとり、碧子さんは担任に連れられて心理カウンセラーにかかることになった。

「そもそも私は担任の先生が好きではありませんでしたし、心理カウンセラーは私の話を聞かず全く寄り添ってもらえず、益々大人が嫌いになりました」

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 碧子さんは家にあまり帰らない生活を続けたが、お小遣いやお年玉が貯まっており、数人の友人の家で寝泊まりすることもあったため、食べるものには困らなかった。

「後で知ったのですが、父が友人宅に食費を入れていたそうです。家に荷物を取りにたまにこっそり自宅に戻ると、母に見つかって車で追いかけられ、連れ戻されそうになりました。家に帰っても何も変わらないと思い、母からも必死で逃げていました」

 そんな中、碧子さんは、「女子が少ない」という理由で受けた工業高校に合格。

「工業高校は、よくある女子グループや派閥のようなものがなく、過ごしやすかったです」

“夜回り先生” とカナダ留学

 高校2年の時、何気なく見ていたテレビで、通称“夜回り先生” こと水谷修さんの特集を目にした碧子さんは、気がつくと号泣していた。

「深夜の繁華街をあてもなく歩く10代の子どもたちに、水谷先生が声をかける様子を見て、かつての自分を重ねました。『水谷先生のような大人と出会っていたら、私はこんなに辛い経験をしなくて良かったのかもしれない』と思い、涙が止まりませんでした。そのとき、『こんなふうに誰かを助ける側になろう』と強く決意したのです」

 将来の夢が「カウンセラー」に決まった瞬間だった。

写真はイメージ ©AFLO

「大学で心理学を専攻したい」と思ったが、通っているのは工業高校。少しでも夢に近づくために、碧子さんは高校2年の時に、通信制の高校に編入した。

 そんなとき母親から、母方の親戚がカナダのバンクーバーにある大学に通っていたため、「碧子も行ってみない?」と提案された。

 二つ返事で留学を決めた碧子さんは、まずは英語を身につけるため、大学に併設されている語学学校に入ることになった。