「小学校低学年の頃、私たちが欲しいと言ったこともないのに、新しいもの好きの父が勝手に買ってきたゲームボーイで遊んでいたら、いきなり取り上げられて、庭に投げて壊されました。理由はゲームのしすぎだったかと思いますが、家庭での明確なルールはなく、父の感覚です。父は言葉よりも行動で怒りを表すことが多く、頭を叩かれたこともあります。父の行動は予測ができず、すごく理不尽で、もっと他にやりようがあったと思います」

 碧子さんの家には父方の祖母が同居していたが、父親は自分の母親であるにもかかわらず、いつも見下すような態度で接していたように碧子さんは感じていた。そしてそれは妻に対しても同じだった。

「父は、気に入らないことがあるとすぐに母や祖母にも怒鳴りました。手がつけられないほどの怒りを表すこともあったので、母も祖母も、日々父の機嫌を損ねないように神経を張り巡らせていました。ただ祖母は母のことをよく気にしており、時折母のフォローをしていました。祖母のフォローがなければ、母はもっと苦しかったと思います」

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 碧子さんが小学校に上がると父親は単身赴任になった。月に1~2回は帰ってくるが、碧子さんが高学年になる頃には、独断ルールを押し付けてくる父親と口論をするようになっていった。

「そんなとき母は、ただ困った顔で私たちの様子を見つめていました。母にとっても父の怒りに対し、どう接して良いかわからなかったのです。ですが、今思えば、独断ルールな父の手前、私のことを庇うのは難しくても、『後でフォローをすることもできたのでは?』と思いますが、フォローしてもらった記憶はあまりありません。庇ってくれたときもありましたが、いつもではありませんでした」

 碧子さんが中学2年生になる頃、父親は単身赴任が終わり、家にいる時間が増えた。

いじめと父親との確執

 中学3年生になると、碧子さんは担任の教師と合わず、「学校が楽しくない」と感じていた。さらに、同じクラスの女子たちから無視されるようになると、碧子さんは学校に行かなくなり、家にも帰らず当時の彼氏や同じく不登校の友だちたちの家を転々とし始める。

「その『無視』には理由はなく、ただ順番がまわってきただけでした。『無視』は不登校のきっかけに過ぎず、『これで学校に行かなくて済む!』と内心喜んでいました。当時は明確には認識できていませんでしたが、私が本当に困っていたのは学校のことではなく父との関係でした」

 8年以上単身赴任で不在にしていた父親が帰ってきてからというもの、碧子さんは顔を合わせるたびに喧嘩を繰り返し、「家庭に居場所がない」と感じていたのだ。