――みんな映画を撮りに学校に来ていたんですよね。メンバーをつかまえて自分の映画を撮るために学校に来ていた人たちばっかりで。黒沢(清)さんは卒業していたのによく来て、まだ8ミリを撮っていたし。

蓮實 普通なら、そういう連中の中に駄目な人もいるわけじゃないですか。ところが、つまらぬものはあえて上映しなかったからかもしれませんが、上映されたものは、誰の作品もことごとく見事に撮られている。あれはなぜですかね。

――みんなたくさん撮っていたので、その中から選んで蓮實先生の授業で上映していました。僕の作品も上映したんですが。

ADVERTISEMENT

蓮實 なんか縫いぐるみの動物が出てきたのがありませんでした?猫かな。

――猫じゃないんですけど。くまです。『地球に落ちて来たくま』(注2)という。

蓮實 クマだ! そうでした。わたくしは貴方の名前を鮮明に記憶していましたから、『くまちゃん』(1993)も見ております。筒井康隆原作の『七瀬ふたたび』にも無視できないショットがあったと記憶しています。

――僕が1年の時に上映したのは、『いつでも夢を』(注3)という高校生の男女がただ歌う3分の映画です。歌う男の子の後ろの空に女の子の顔が二重露出で浮かんでいるというのがラストカットで、それを見て先生は「グリフィスだね」と言われたんです。そのカットは『グリース』のデュエット曲のラストカットを真似したものだったので、「はい」と答えたんですけど、後で友達から「グリフィスって言ってたよ」と教えられて驚きました。そうか、二重露出の元祖はグリフィスなんですね。その後、先生の本を読むと、映画というのは作者が映画史を認識しなきゃいけないと書かれていて、納得しました。

蓮實 古いサイレント映画を見ても、くだらない作品はいっぱいある。ところが、グリフィスはいくら見ても飽きない、というよりそのつど新たな発見がある。それは、やはり画面がすべてを語っているからです。画面の連鎖も素晴らしい。だから、何が見えたかが大事なのです。

――今は簡単にできることですけど、8ミリだったので大変なカットだったんです。男の子を撮ってからフィルムを巻き戻し、黒バックで女の子を撮る。適正な露出が分からず、何度も撮り直しました。当時の観客はそういう苦労をある程度分かっていたから、手間のかかることをやっていると見てくれていた気がします。グリフィスが初めて二重露出をやった時、当時の観客にとって2つの映像がダブって見えることは驚きだったと思うんですよね。それと同じような原初的な見る驚きや作る喜びを8ミリでは感じていた気がします。

蓮實 そう。いずれにしても、素朴な手作り感というのが非常に強くありました。それでいて、皆さん方の作品は、わたくしが期待していた以上のものだった。それが途方もなく嬉しい悦びでした。ここまでやるかというのを、みんなやっていたでしょう。