日活ロマンポルノと黒沢清『ドレミファ娘の血は騒ぐ』
――黒沢さんは「あの時代の日本映画は駄目だったから、自分たちの8ミリの方が映画として勝っている」という思いで作っていたそうです。当時、先生は日本映画の状況をどうご覧になっていたんですか?
蓮實 確かに大きな会社はつぶれかけていたけれど、日活ロマンポルノだけは途方もなく面白かった。むしろ、刺激的だったといえるかと思います。わたくしも何本か、「これはぜひ見ろ」と言った記憶があります。たしかに、いわゆる大手の会社で作っているものがだんだん本当に落ちてきて、角川映画などが出始めた頃でしたね。
――そうですね。
蓮實 ただし、日活ロマンポルノだけは見るに値するという気がしていました。日活ロマンポルノは、当時の日本映画としてわたくしを支えてくれたものです。
――神代辰巳監督とか。
蓮實 神代さんもそうだし、田中登監督とか、曽根中生監督とか、ああいう人たちの撮っていた作品は、ごく普通な映画とみえますが、しかし必ずキラッと光るものがある。
――黒沢さんが日活ロマンポルノとして撮り始めた『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(注4)にはSPPメンバーが沢山参加していて、僕も音楽部員Aという役で出演しているんですが、伊丹十三さんが演じられた教授は絶対蓮實先生をモデルにしていると思いました。蓮實先生は作品を見てどう思われました?
蓮實 わたくし自身がモデルかどうかということは、まったく考えなかった。でも、相手が伊丹さんだから、あえて伊丹さんがわたくしめいた人間を演じているなんていうことは考えられないなと思って、そうした見解には激しく抵抗していました。
――蓮實先生のすごくダンディな感じが、伊丹さんのキャラクターには重なっていたんじゃないかなと。
蓮實 わたくし自身は、そうは感じておりませんでした。のちにあの愚かな『お葬式』で喧嘩わかれすることになりましたが、あの時期の伊丹十三とはごく普通につきあっていました。
