「本当に私でいいんですか?」センターを任されたときの不安とは
――乃木坂46では、シングルごとに“選抜メンバー”と“アンダーメンバー”が選ばれます。約8年の活動では、5thシングル『君の名は希望』のアンダー曲「13日の金曜日」で自身唯一のオリジナルセンターも務めました。
斉藤 デビューシングルから3rdシングル『走れ!Bicycle』までは、選抜メンバーでした。でも、次の4thシングル『制服のマネキン』では選抜メンバーになれなくて、アンダーメンバーのまま続くシングルの『13日の金曜日』でセンターを任されたので、自信はなかったです。
アンダーメンバーとして頑張ってきた子たちもいたし、急に自分がセンターになっていいのか不安で、スタッフさんに「自信がなくて。本当に私でいいんですか?」と、相談するほどでした。
――グループ内での立ち位置については当時、葛藤もあったんでしょうか?
斉藤 初期は、選抜メンバーになれるかどうかを気にしていました。でも、年齢を重ねるにつれて個人での仕事が増えて、こだわらなくなったんです。
他のメンバーへの嫉妬もなく「なぜ、自分は選抜メンバーになれなかったんだろう」と自問自答を重ねて。他のメンバーと比べられてしまう環境ではあったんですけど、私にとっては刺激的でした。
握手会では来てくれたファンの方の心を引き寄せられるように接して、誰と会っても以前の会話を思い出せる能力が自然と身につきました(笑)。
――(笑)。前向きな印象ですけど、落ち込むことはなかったんですか?
斉藤 あったとしても、どん底まで落ち込むことはなかったです。深く悩むほど真面目なタイプではないし、常に「どうにかなるさ精神」で生きてきたので。活動が楽しくなかったら、加入してすぐに卒業していたはずです。
けっして平坦ではなく、楽しくて悲しくて、ときには怒ってと起伏ある時間を過ごしていたし、充実していました。感情が爆発するときもあったんですけど、振り返れば「なんであんなに泣いたり、怒ったりしていたんだろう」と思います。
撮影=深野未季/文藝春秋
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