軍国少女だった翁長さんが、軍司令部へ大きな不信感を抱くようになったきっかけ
3か月に渡る戦いの話をしてくれたあと、筆者は聞いた。真面目で勇敢な「軍国少女」が、この戦争に疑問を持ったのはいつだったのか。
「まず最初に感じたのは、自分たちは撤退するのに、お前たち郷土部隊は首里を守れという命令を受けたときですね」
軍国少女は、軍司令部へ大きな不信を感じた。翁長さんは、ひとつの出来事を話してくれた。
「私たち女学生が、ソーシジ林の掃除をしてるときに2回、1回目は馬の上から、2回目は馬から降りて『この花は何の花ですか』と、黄色い花を指して、話しかけられたことがあるんですよ」
4~5月に可憐な黄色い花を咲かせる相思樹。沖縄方言でソーシジという。激戦がはじまる直前のころ花を付け、馬上からその名を問うた「顔もいかめしくない、優しそうな軍人さん」は、第32軍司令官牛島満中将だった。
しかし彼ら軍首脳は、5月27日には撤退し、翁長さんらには撤退を許さず、首里死守命令を出している。翁長さんはもうひとつ、エピソードを続ける。終戦して数十年が経過したときの出来事である。
「最後まで首里を守れと言われたことは、全員ここで死ねということ」
「私は、牛島司令官のお孫さんとも2回会ってお話をしましたよ。彼は、牛島満はおじいさんで、家族から見れば立派なお国のために尽くした軍人さんで、やっぱり家族にも優しかったと言いました。
けれどもね、優しさとね、人間の命とは替えられないよと私は言いました。お前らは郷土部隊だから最後まで首里を守れと言われたことは、全員ここで死ねということ。首里で降伏しておけばね、あとの10万は死なないで済んだ。本土上陸まであの手この手で引き延ばしていって、住民を犠牲にしたと思います。そう言いました」
司令官の親族であるこの男性へのインタビュー記事を筆者は読んだことがあるが、身内を神聖視したりせず客観的に沖縄戦を見ようとしている姿勢をとっていた。そして翁長さんも彼個人を責めたかったわけでもない。ただ、あの戦いについて、命令した者たちに対して、一番末端にいた者として思いを話さずにはいられなかった。

