「やっぱり戦争を知らない。その話を聞いてない」現代の人々の戦争への認識に思うこと

 最後に筆者は、現代の人々の戦争への認識をどう思っているか聞いた。

「やっぱり戦争を知らない。その話を聞いてない。あのころ、大東亜共栄圏といって、もう自分の国では戦争をしないで、よその国で人殺しばっかりさせたでしょ。私はね、武士道精神から繋がってると思う。ほら、親分の言うこと聞かなかったら、即切腹、即首切りだからね。これに反抗する人もいなかった、そのまま通った世の中だったでしょ。何百万の命を日本は奪ってますよね。そういう仲間に、また入っていこうとしている。信念がないと平和は作り出せないと私は思うんですよ。だから若い者たちも歴史をしっかり勉強してね、こんな生き残りの話もしっかり聞いて、1度しか生を受けられないことを考えてほしいです」

 小学校の教員を長くつとめた翁長さんは、永岡隊長が遺した言葉を、あの戦争を伝えることだと捉え、長年、体験談を語り続けてきた。教え子たちも自分の思いを引き継いでくれている、それはありがたいことだと、そのときだけ、笑顔をみせてくれた。そして80年を経た今でも、出かける際は、「隊長、安子は行ってきます」と、心のなかで話しかけている。

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ひめゆりの塔。同じ学び舎の友人たちを慰霊するこの塔の建立にも翁長さんは参加した(撮影=フリート横田)

「みんな、家族の名前を言いながら死んでいきました」

 こうして96歳にして、4時間以上休まず話してくれた翁長さんの取材を終えた。

 翁長さんらひめゆり同窓会のみなさんにお会いする前、筆者はひめゆりの塔へ、手を合わせにいっていた。道すがら、青い海の美しさに惹かれるのと同時に、限られた土地に、あまりにも巨大な基地が横たわっているのも目の当たりにし、この土地のおかれた不条理さを改めて感じずにおれなかった。戦争の時代から現在まで沖縄に引き受けさせているさまざまな問題を、我々はちゃんと振り返り、考えてこられただろうか。

 花をお供えしたあと、ひめゆり平和祈念資料館を見学した。館内で若者たちが釘付けになっていたのは、元ひめゆり学徒隊員のインタビュー映像だった。翁長さんと同じ学び舎で真面目に学んだ、同じ元「軍国少女」が、重傷兵士たちを看取り続けた体験を語っていた。

「(亡くなるとき)天皇陛下万歳と言うと教えられていたのに、みんな、お母さん、とか、家族の名前を言いながら死んでいきました」

 戦争を見た人の偽りのない言葉。映像に見入っていた若い女性は真っすぐに立ったまま、涙を流していた。こうした痛みの記憶がつながるかぎり、勇ましい言葉にふりまわされない人たちは決していなくならないと、筆者は信じている。

ひめゆり平和祈念資料館(撮影=フリート横田)
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